遅咲きの星!「恋人たち」主演の篠原篤

 映画『ぐるりのこと。』(2008年)の橋口亮輔監督が7年ぶりに挑んだ映画『恋人たち』が公開中だ。前作は子を亡くした夫婦の10年間に及ぶ心の旅路を丁寧に描いていたが、今回もまた不条理な日常に悶々(もんもん)とした思いを抱えた人たちの心を繊細に切り取っている。その主演の一人を演じたのが俳優・篠原篤(32)。ワークショップから主演に抜てきされた遅咲きの星だ。

 篠原が演じるのは、3年前に妻が通り魔に殺害されて以来、公私ともにままならず、やり場のない怒りを胸に抱えて爆発寸前になっているアツシ。篠原は、俳優事務所が行っていた俳優ワークショップで橋口監督に出会い、短編『ゼンタイ』(13年)にも出演。『恋人たち』の脚本も橋口監督が手がけており、アツシをはじめ登場人物のキャラクターはすべて俳優たちへの“当て書き”だという。

 プレス資料によると橋口監督は篠原の「人柄がよくて、九州男児らしく頑固で、ちょっと見栄っ張り」な性格を生かすべく、不器用で何をやってもすべてくじかれてしまうキャラクターを考え、結果、アツシという人物が出来上がったという。

 「“当て書き”という言葉は知っていても、どういう事なのか分からなかったんです。自分で体験してようやく、こういう事なのだと理解できました」(篠原)。

 本作の宣伝文句として、メーンキャストの3人は“ワークショップで選ばれた無名の新人俳優”と書かれているが、厳密には違う。それぞれCM・ドラマ・映画などで、地味ながらも脇役を務めてきた苦労人だ。篠原も、俳優を目指して福岡から上京し、ワークショップ参加などを経て、一時は大手芸能事務所にも所属していたこともある。

 「やはり俳優を目指しているからには、主演を夢見るじゃないですか。でもある日気づいたのです。一つの役のために、その現場に長く居ることを役者になって一度も経験したことがないなと」

 そこで私財200万円を掛けて映画『始まりの風景』(13年)を製作。監督・脚本、そして主演はもちろん自分だ。幸福な日々を送っていたカップルだったが、突然、男性の方がうつ病になってしまい、生活が破綻していく過程を描いたもので、イタリアのトリノ映画祭でも上映された。しかし、それでもなかなか活路を見出せず。所属事務所も辞めてしまった。おそらく、そんな篠原の様子を、橋口監督は見ていたのだろう。

 当初、篠原は『恋人たち』製作の為のワークショップに参加するか迷っていたが、関係者を通して連絡を受けてようやく、重い腰を持ち上げた。

 「昔だったら『絶対、この役をとってやるぜ』ぐらいに思っていたけど、その頃が一番切羽詰まっていた感じかもしれません。人から役を頂ける事もなく、もしかしたら自分の映画で(俳優人生も)フィニッシュかな…と。でも、やっぱり未練があったし、橋口さんなら僕の事をちゃんと見てくれるのでは?という期待感もありました。それでも、これが最後になるかもしれないという思いもあり、純度の高い気持ちで芝居に挑めたと思います」(篠原)。

 俳優はよく、芝居の何が楽しいか?と尋ねると「別人になれるから」と答える人が多い。しかし時に、自分が今置かれた苦境とシンクロし過ぎる役を演じるのは、現実を否応なしに突きつけられて苦しくもなる。中には精神を壊してしまう人もいる。篠原は後者だった。ワークショップと撮影の約1年間、篠原はアツシとなり、愛する者を失った穴を埋められずに、もがき苦しむ姿をさらした。アツシを離れても、生活を支える為にアルバイトに勤しむ日々。

 「さすがに撮影中はバイトはできませんでしたが、ワークショップ中は居酒屋や宅配便の仕分けも。一度、日雇いの現場で大学生の従兄弟と遭遇しまして(苦笑)。彼にとっては俳優をしている自慢のにいちゃんだから、友達に自慢するんです。内心『ふざけんな!』と思ったけど、仕事後に皆で飲みに行き、全部支払って大赤字。家賃の支払いのための仕事だったのに(苦笑)」

 まさに橋口監督が評した「人柄がよくて、九州男児らしく頑固で、ちょっと見栄っ張り」な性格が完全に災いした様子。さらに不器用な篠原らしく、アツシに向き合えば向き合うほど孤独に陥ってしまったようで、ある日、走馬灯のように自分の人生がバーッと見えた時があったという。

 「でもそういう時に、橋口さんが僕のことを見ていて、背中を押してくれるんです。『これだけの思いをしてやっていても、観客にはほんの少ししか伝わらないかもしれない。でも、映画で人に何かを伝えるというのは、そういう作業だから』と。それを聞いて、『そうだよなぁ。まして僕のように不器用で、スターでもなんでもない男が、人に何かを伝えるのだから』と思えて、少し気持ちが軽くなりました」(篠原)。

 完成した作品は、自分ではまだ客観的に見られないという。しかし故郷で完成披露を行った際、疎遠になっていた家族や友人たちが駆けつけてくて、応援してくれる存在がいることを知った。そして本作をきっかけに、ドラマの出演依頼も来たという。

 「まだ目の前の事は考えられないです。でも偉そうに言うなら、役をいただいて、また一生懸命生きてみたい。また橋口さんの作品に出たいと思いますし、俳優として責任を持って仕事をしていきたいと思っています」

 劇中でアツシは苦しんだ末に最後、ささやかな希望を見出す。そのアツシを全身全霊で生きた篠原にも、ささやかな光が見えてきたようだ。

 (映画ジャーナリスト・中山治美)

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