デビュー30周年 嘉門達夫

 デビュー30周年を迎え、元気いっぱいの嘉門達夫=大阪・湊町リバープレイス(撮影・佐々木彰尚)
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 シンガー・ソングライターの嘉門達夫(54)が今年、デビュー30周年を迎えた。落語家として活動した後、1983年に「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビュー。思わず口ずさんでしまうリズミカルな楽曲に、世の中のあるあるやコミカルな風刺を盛り込み、数々の爆笑ソングを生み出し続けてきた。7月21日には大阪・万博記念公園で30周年記念ライブ「真夏のカモン!EXPO!」を開催する嘉門が、かつての名作の誕生秘話や、さらなる野望展望を明かした。

  ◇  ◇

 ‐30年よりもっと長く活躍されてるようなイメージもありますが、ご自身ではいかがですか。

 「自分の中に時間の感覚がないのか、昨日の今日のようでもあり。ただ音楽と笑いが共存するものは長続きしにくい世界で、振り返ればシングルが74枚にアルバムも50近く。このへんはやったもん勝ちで、おもしろい位置に立ててるなと思いますね」

 ‐最近は、ちびっ子にもファン層が拡大してますね。

 「追っかけのちびっ子まで現れて、多少なりとも責任みたいなものを感じつつやってます。『アホが見るブタのケツ』なんかは28年前の作品。僕の小学校時代を再現して、鉄格子あったら『オレは無実じゃ!』とか、シャワーで『修行じゃ!』とやるようなクラスのうれしがりが主人公なんですが、今の時代にもいるということですね」

 ‐30周年の記念ライブは、明石家さんまさんら親交ある方々も駆けつけてにぎやかになりそうですね。さんまさんとは、どんな企画を計画されてますか。

 「僕とさんまさんの歴史エピソード・ベスト3といった形で、いろいろとお世話になった中で、あの時どうやったなあという話をしようかなと」

 ‐さんまさんと出会ったのは、お互いに落語家だった時代ですか。

 「まだ笑福亭さんまと名乗っていたか、明石家になった直後ぐらいだったかと。僕が笑福亭鶴光師匠に付いて毎日放送に行ったら、さんまさんが漫才してはって。めちゃくちゃおもろい、なんちゅう反射神経やと思ったのが最初ですね」

 ‐長年の積もり積もったエピソードがありそうですね。

 「僕が落語家を破門になった時も、毎日放送のディレクターの家に相談に行ったら、あちらは番組のアシスタント女性の送別会。そこにさんまさんもおってにぎやかな中、僕が暗い顔で『破門になったんです。どないしましょ』と相談してる。そんなシーンもありましたしね」

 ‐多くのミュージシャンの方もゲストに。

 「押尾コータローさんや、スターダスト・レビューとは僕の歌を一緒にやったり、きたやまおさむさんとは、この日のために書き下ろしの曲を作ってるところです」

 ‐過去の作品の話になりますが「アホが見る‐」にしても、嘉門さんの楽曲で世間に定着したフレーズが多いように思います。

 「30年を振り返りますと、かつて東京では通じなかったヤンキーという言葉を、嘉門達夫が『ヤンキーの兄ちゃんのうた』で広めた、と現代用語の基礎知識に書いてあった時期もあり。パロディーにはもともとあるもんを拡散させる役割もある。『鼻から牛乳』も、もとは山口県あたりの子供がいうてた言葉らしくて。宇部出身の西村知美さんが番組に来た時に口にして、何それ?となったのがきっかけ。どこかで使いたいというテーマとなり、恋愛の修羅場の歌として作ったんです。拡散という意味では『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』も同じですかね」

 ‐テレビ朝日「川口浩探検隊シリーズ」の応援歌と思いきや、過激な演出にコミカルにツッコミを入れるパロディーでしたね。

 「CD化するにはいろいろと許可をとることになるんですが、あの時は上岡龍太郎さんから『川口さん今度、来はるで』と関西テレビの『ノックは無用』に出ることを教えてもらい、関テレまで押しかけましてね。『こんな歌どうですか』と聞いたら、川口さんが『このピラニアにかまれた手というのは、僕の手なんだよ!』と。ロビーで交渉しましたね。ちなみに『川口浩』はレコーディングにもかなり費用がかかり、予算の都合でB面の『あったらコワイセレナーデ』は阪神デパート屋上でやった営業を録音したんです」

 ‐許可をとるのも大変だったそうですね。例えば八代亜紀さん。「替え唄メドレー」で誰も素顔を知らない、なんて歌って怒られませんでしたか。

 「八代さんの事務所さんには『嘉門さんだったらいいですけど』と許可はいただいたんですが…『うちの八代は化粧薄いんですよ』とクギを刺されまして(笑)。たしかに、目鼻立ちがはっきりしてるから化粧濃いように見えるのかな」

 ‐中井貴一さんも、よく海パン姿で腰を振るという歌詞にOKを出しましたね。

 「中井さんとこはマネジャーの方が『なぜうちの中井が海パンで腰を振らなきゃいけないんですか!』と。腰を振ってくれという依頼だと思われたみたいで。後日カセットテープに歌を録音して送って、中井さんが聞いてOKくれはったんです。数年前、初めて中井さんとお会いする機会があり、あいさつしたら中井さんは『実はあの時、僕も電話の横にいたんですよ』とおもしろがってくださったんですよね」

 ‐一方で、NGも多いんでしょう。

 「丁重にお断りされたのも、結構な数ですね。パロディーにするには皆が元の歌を知ってるのが大前提。その意味でCMソングは有効なんですが、ローソンさんのCMを『閉まってます、田舎のローソン♪』でどうでしょうと電話したら『うちは田舎でも開いております』と。花王さんに『過労のパパ♪』で了解を求めたら『疲れたお父さんを癒やすためにバブがございます』と。圧倒的に先方の方が言い分が正しい(笑)。まあ、NGになりましたというエピソードを語ったりできますし、ライブでNGシリーズをやると、なかなかようウケますね」

 ‐しかし、全部許可をとって回るというのは相当な体力がいりますね。

 「まっ…昔ですけど、たまにドサクサまぎれもね(笑)。時代ですね」

 ‐最近は、若手のCOWCOWの「あたりまえ体操」を“その筋の方々”に引っ掛けた「おとし前体操」のネタも披露してましたね。旬のネタに乗っかる姿勢は変わってないですか。

 「全く変わってないですね(笑)。また構想として、一発ギャグの『We Are The World』みたいなんもありまして。例えば『ワイルドだろ』とか『そんなの関係ねえ』のネタを芸人本人にやってもらって、しかも全部が音楽としてつながっているという。ゆくゆくやりたいんですよね」

 ‐30年も通過点だと思いますが、徐々に変化してゆく部分もあるんでしょうか。

 「20代や30代の時は恋愛とかをテーマにしてリアリティーがありましたが、54歳になって老後をどうするとかいう話になってくると、その世代のリアルなことが歌えるようになってきました。最終的には、老人の気持ちを歌うシンガー・ソングライターってまだおらへんのと違いますかね。『あんたの介護は受けたくない~』といったふうに。ステージドリンクも『ハルンケア』(笑)。死をも笑ってしまうような。あと20年、30年たてば、相当おもしろいのができるような気がします」

 嘉門達夫(かもん・たつお)1959年3月25日生まれ、大阪府出身。本名・鳥飼達夫。75年、高校在学中に笑福亭鶴光に弟子入り。笑光と名乗り、ラジオ番組のレギュラーとなるが80年に破門。全国を放浪した後、芸能プロダクション・アミューズの営業担当に。サザンオールスターズ・桑田佳祐が別名で使っていた嘉門雄三の名字を譲り受け、83年に「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビュー。「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」「鼻から牛乳」などヒット曲多数。08年に眼科医の女性と結婚。

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