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円広志80万枚ヒット「夢想花」印税はパチンコと酒に消えた…仕事なく夜明けまで

夢想花のエピソードを話す円広志=関西テレビ(撮影・北村雅宏)
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 歌手の円広志(63)は1978年、「夢想花」でさっそうとデビューした。覚えやすいメロディーにシンプルな歌詞、親しみやすい高い声がうけてレコードは80万枚を売り上げる大ヒットとなった。その後は「一発屋」と称されることもあったが、森昌子に提供した「越冬つばめ」は第25回レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。SMAPに提供した曲はボツになったけど…。パニック障害を公表後も帯番組に出演し、報道番組でコメンテーターも務める。来年でデビュー40周年を迎える円に迫った。「夢想花」についてのエピソードを3回に分けてお届けする。以下は(1)。

 -「夢想花」は1978年の発売で円さんが25歳の時。作ったのは24歳。

 そうです。

 -著書「パニック障害、僕はこうして脱出した」には15分で作ったとあります。どのような状況で作った曲だったんでしょう。

 学生時代からバンドをずっとやっていたんですけど「夢想花」を作った頃は解散していました。メンバーはみんなプロになりたいと言ってたんですけどその割には大学を卒業したらみんな就職して。僕はプロになる気はなかったけれども音楽は大好きでした。ただ、結婚しているのに仕事をしていないという状況でね。こんなことをずっと続けていていいんやろかと葛藤がありました。音楽をやめてちゃんとした仕事せなあかんのかなと…音楽と別れざるをえないのかという思いを抱えていた時だったんです。飛んで飛んでどっか行きたいという張り裂けるような思いです。詞とメロディーが一緒になって一気に出てきました。

 -歌詞における「わたし」は円さん自身だった。

 そうです。

 -仕事がない状態で結婚。奥様の両親から反対は。

 ありましたね。普通の親やったら反対しますわね。髪も長かったですし。せめて収入が安定してから結婚したらと言われました。でも学生時代4年間つきあってて、自然の流れですね。最後に条件として先方のご両親が「結婚式には髪を切ってください」と(笑)。

 -切ったんですか。

 腰まであった髪を肩まで切りました。

 -「夢想花」でデビューしたころの円さんのイメージは肩のあたりまで髪があった。

 そうそう、あれは切った後なんです。

 -切るのはイヤでしたか。

 いや、べつに。そんな条件で結婚させてくれるんやったら(笑)。

 -レコードは80万枚を売り上げた。著書で印税はパチンコに使ったと。

 パチンコと飲み代ですね。毎晩です。売れなくなってからは。仕事がとにかくなかったんで毎日、朝の5時ごろまで飲んでると白々と夜が明けて、サラリーマンの方が通勤で歩き出しているんです。それを見ながらビール飲んで、ああ、自分はこうやって落ちぶれていくんだなと思いましたわ。ただ、つらいとか悲しいという気持ちはあんまりなかったです。元々プロでやっていこうという気はそんなになかったんで。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 円広志(まどか・ひろし)本名・篠原義彦。1953年高知県生まれ。78年「夢想花」で第16回ヤマハポピュラーソングコンテストグランプリ受賞。デビュー。83年、森昌子「越冬つばめ」を作曲。同曲は第25回レコード大賞優秀歌唱賞を受賞。レギュラー番組にカンテレ「よーいドン!」、読売テレビ「かんさい情報ネットten」など。99年にパニック障害を発症し一時期テレビ番組をすべて降板し療養。著書に「パニック障害、僕はこうして脱出した」(詩想社)。巨人ファンで「今年はもうアカンでしょ」。

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