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【大橋未歩アナ】パラテコンドー田中光哉選手が日本代表となった今、思うこと

 「大橋未歩のたまたまオリパラ!」

 左手の指は3本、右手は1本。自分の手を見て目を逸(そ)らす人もいたが、微笑みを返してくれた人もいた。この違いはなんなのだろう。障害と改めて向き合ってみたいと思ったという田中光哉選手(ブリストル・マイヤーズスクイブ)。当初はパラスポーツ普及に取り組んでいたが、東京2020がきっかけとなりパラテコンドーの選手になった。福岡選抜にも選ばれたサッカー経験が活(い)きたものの、戦績は伸び悩んでいた。

 模索する中で階級も変えた。国内の代表争いに有利だと考えていた75キロ級では、世界だと不利になる。高身長でリーチも長い選手がゴロゴロいるのだ。世界でメダルを獲るために61キロに階級を落とした。

 地道な基礎固めに階級変更、そして最後のピースをはめるように、田中選手に大きな出会いが訪れた。洪君錫(ホン・グンソク)師範が招聘(しょうへい)したのが、カン・ドンチョル・コーチ。韓国でも全国優勝経験があり、戦術家としても高名で日本のテコンドー界では知らない人がいないほどのトップ選手。「僕が指導してもらえるようなコーチじゃないんですが、気に入ってもらえて。カンコーチが来てから驚くほど勝てるようになった」

 ピースが揃った田中選手は2020年1月の日本代表選考会に臨んだ。直接対決かつ1発勝負で決まる代表選考。だが、泣きながら耐えてきた練習の日々は田中選手を落ち着かせた。

 私も実はその選考会の場にいた。日本代表最有力と言われていた伊藤力(いとう・ちから)選手に当初はリードされていたものの、会場を揺らすほどの大きな声援を背に受けて、田中選手の動きがみるみるキレを増していった。まるで心技体が正三角形を作っているような仕上がり。代表の切符を手にした。

 障害とちゃんと向き合ってみたいという理由から人生が一変した田中選手。日本代表となった今、改めて何を思うのだろう。

 「体が動く僕は恵まれていて、障害者のすべてだと思っちゃいけない。ただ子供とかが自分の姿を見てくれて、何かチャレンジしてみようと思ってもらえれば」

 2021年9月2日に幕張メッセで本番を迎える予定だ。

 ◆大橋未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、神戸市出身。フリーアナウンサー。2002年入社のテレビ東京時代にアテネ、北京、ロンドン五輪を取材。18年にパラ卓球アンバサダー就任。19年から「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバー、パラ応援大使でも活躍。

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