三原綱木さん死去 80歳、腎臓がん「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」で一世を風靡
1960年代にグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」で一世を風靡(ふうび)し、その後もビッグバンド「三原綱木とザ・ニューブリード」などで活躍したギタリストの三原綱木(みはら・つなき)さんが11日午前9時2分、腎臓がんのため東京都の病院で死去していたことが15日、分かった。80歳。東京都出身。葬儀は家族葬で行い、後日お別れの会を開く予定という。
三原さんの妻でタレントのケイ・アンナ(76)がデイリースポーツの取材に応じ、三原さんの最期の日々を明らかにした。
三原さんはこの5年ほど入退院を繰り返し、今年4月から入院していた。リハビリ病院に転院ののち、8月に入りがんが判明。腎臓から膵臓(すいぞう)、肝臓に転移しており、8月下旬には緩和ケア(ホスピス)に移ったという。
9日にケイ・アンナが病室を去る際に「明日も来るからね」と言ったところ、三原さんは「マミー、ありがとう!!」と大きな声で感謝の言葉を返した。これが三原さんとの最後の会話だった。
三原さんはブルコメにギター兼ボーカルとして参加し、1965年にEP「ヘルプ・ミー・ロンダ」でデビュー。卓越したテクニックで人気を博した。66年にザ・ビートルズ来日公演の前座を務め、67年には「ブルー・シャトウ」が大ヒットして第9回日本レコード大賞を受賞。同年からNHK紅白歌合戦に3年連続で出場した。美空ひばりさんの「真っ赤な太陽」にバックバンドとして参加し、米人気テレビ番組「エド・サリバン・ショー」にも出演した。
脱退後の76年には郷ひろみのバックバンドを結成し、リーダーを務めた。86年からはニューブリードを率い、紅白などで指揮や編曲を担った。2001年にはブルコメ再結成に参加した。
ケイ・アンナが三原さんの母親から聞いたところでは、三原さんは幼少期の作文の中で、「ギターを弾いて、歌を歌って、曲を作って、ビッグバンドのバンドマスターになる」という夢をつづっていたという。その夢をかなえた人生だった。
三原さんの最後のステージは今年3月15日に大阪・新歌舞伎座で開催されたコンサート「THE G.S~栄光のグループサウンズ~アンコール!!」。GSの仲間だったミッキー吉野(ザ・ゴールデン・カップス)や加橋かつみ(ザ・タイガース)らと共演した。
20年に吉川さんの訃報を受けて、三原さんは「いずれ向こうに行ったら再会して、一緒に演奏したい」と語っていた。今ごろは、その願いをかなえていることだろう。
