寿美花代さん死去 94歳 老衰で 元宝塚歌劇団トップスターの芸能一家 息子は高嶋政宏&政伸

 元宝塚歌劇団星組トップスターで、夫に高島忠夫さん、息子に俳優の高嶋政宏と高嶋政伸を持つ寿美花代(すみ・はなよ、本名高嶋節子)さんが、老衰のため、今月3日に死去したことが6日、分かった。享年94。所属事務所が発表した。家族葬がこの日行われた。

 寿美さんは1932年2月6日生まれ、兵庫県西宮市出身。父は自動車会社の重役で、SF作家の小松左京さんは宝塚入団前の、寿美さんの芦屋令嬢ぶりを書き残している。

 48年に宝塚音楽学校を卒業し、35期生として宝塚歌劇団に入団。同期には映画「張込み」、「ゼロの焦点」などで知られる高千穂ひづるさん、アニメ「ジャングル大帝」、「リボンの騎士」、「ひみつのアッコちゃん」などで知られる声優の太田淑子さんがいた。妹の秩父美保子さんも宝塚で活躍した。

 「春のをどり」で初舞台を踏み、初めて役をもらった51年の「蜜蜂の冒険」で少年役を演じると、そのまま男役となった。52年にグランドレビュー「猿飛佐助」で初主演。美貌と美声で星組の男役トップスターとして活躍し、53年元日のデイリースポーツでは先輩の春日野八千代に「名実ともにはるかにしのぎいまや宝塚のトップスターである」と紹介されるほどの人気を誇った。同年に「アンニー・ローリー」で宝塚新人演技賞を受賞。58年には「光明皇后」で女役を演じ、59年には北米公演に参加した。宝塚時代の代表作に、60年に芸術祭賞を受賞した「華麗なる千拍子」がある。

 在団中から映画にも出演し、映画「水着の花嫁」(54年)では水着姿も披露。「新源氏物語」(61年)では市川雷蔵と共演した。61年にNHK紅白歌合戦に初出場して「ジャズ・バンド」を歌い、62年にソロアルバム「寿美花代とともに」を発売した。

 在団中にはプロ野球・巨人の長嶋茂雄さんとの結婚を報じられたこともあったが、本人は「デマ」と否定。63年の「タカラジェンヌに栄光あれ」をさよなら公演に退団し、記者会見で「私は幸せで恵まれ通しだった」と語った。

 神戸でプロポーズされた俳優の高島忠夫さんと同年に結婚した。2人は62年にミュージカル「君にも金儲けができる」で共演したことがきっかけで交際に発展。結婚前にデイリースポーツでフィアンセ対談した際に寿美さんは共演を「最高の思い出」と話している。おしどり夫婦として知られ、夫婦で司会を務めた料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ)は27年続く人気番組となった。

 忠夫さんとの間に3人の男児をもうけたが、長男が1964年、家政婦に殺害されるという悲劇に襲われた。次男は高嶋政宏、三男は高嶋政伸という芸能一家としても知られ、2002年の火曜サスペンス劇場「浅見光彦スペシャル 貴賓室の怪人」(日本テレビ)では寿美さん、政宏、政伸が母、兄、弟役で共演した。

 98年から忠夫さんがうつ病で5年間、休業すると、復帰まで家族で支えた。05年に政宏が俳優のシルビア・グラブと結婚し、京都の下鴨神社で開かれた結婚祝いの「ご縁の会」では親子4人とグラブの5ショットを披露した。06年にはBSフジ「ライフ☆イズ☆家~イ!」の制作発表に家族4人で出席。17年には政伸に子供が生まれて初孫を得たが、19年には忠夫さんが老衰で死去。寿美さんは自宅でみとった。

 14年に100周年を迎えた宝塚歌劇団の殿堂入り。同年4月5日に開催された「宝塚歌劇団100周年夢の祭典~時を奏でるスミレの花たち~」に82歳で出演したのが、最後の公の場となった。

 宝塚100周年にあたり、14年にデイリースポーツの連載に登場した。「人間に生まれてきて、宝塚に入れたのは恵まれてます。最高の人生を送ることができた、心底そう思います」、「苦しいと思ったことはないです。拍手が大きかったときは言葉で言い表せないうれしさがありました」と宝塚時代を振り返った。

 宝塚愛は強く、忠夫さんと結婚する際には、創業者・小林一三さんの三男・米三さんに、劇団に残れないかと直談判したほど。宝塚と家族を愛し続けた生涯だった。

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