演芸評論家・渡邊寧久氏 海老名香葉子さん悼む 戦争孤児-哀しみ、切なさ、悔しさ、涙一切を力に
落語家の初代・林家三平さんの妻で、エッセイストとしても活躍した海老名香葉子さんが、24日午後8時38分に老衰のため都内の病院で死去していたことが29日、分かった。92歳。長男の落語家・林家正蔵(63)が発表した。演芸評論家・渡邊寧久氏が故人を悼んだ。
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容体が思わしくない、ということを耳にしたのは今年、春もじきに終わる頃だった。一門の落語家は「もう人前に出ることはないと思います」と表情を曇らせた。長男で落語家の林家正蔵には「(自分は)最近は(落語会の)打ち上げにも出ないんですよ、なるべく早く帰って、おふくろと一緒にいたいんで」と聞いていた。
戦後80年という節目の今年。先の戦争の東京大空襲で、両親、祖母、3人の姉妹、家族6人を一夜にして失った。
戦争孤児。その哀しみ、切なさ、悔しさ、2度と自分のような存在を生んではいけないという強い思い、涙一切を力に変換し、おかみさん(私はそう呼んでいた)は生きた。平和の大切さを繰り返し訴え、「ウクライナやガザの悲劇にも胸を痛めていた」(関係者)という。
来年1月9日にお別れの式を執り行う東京・上野の寛永寺近くに2005年、私財を投じて「時忘れじの塔」を建立した。毎年3月9日に「時忘れじの集い」を開き、戦争の悲惨さを伝え続けている。その塔を建立する際、上野公園を管理している東京都と場所の提供について掛け合った。
「担当者に、どうしてそんなに建てたいんですか。海老名さんの売名行為じゃないですかって言われて腹が立って立って」。おかみさんは抵抗にもめげず、意志を貫いた。
戦後、三代目三遊亭金馬の事実上の養女として育てられ、その後「昭和の爆笑王」として寄席やテレビで大人気になった初代林家三平と結婚。夫が若くして亡くなった後は、林家こん平(2020年没)とともに一門を束ねた。2人のせがれ、正蔵と二代目林家三平を立派な一枚看板に育て上げた。
十分すぎるほど見事な一生。初代林家三平生誕100年の今年、幕を下ろした。おかみさん、お疲れさまでした。(演芸評論家・渡邊寧久)
