西村知美「いつかを今に」が原動力 38年ぶりソロライブ開催へ成人の愛娘も「全面的に協力」 26年デビュー40周年
月一連載企画「今も輝いて アイドル伝説」の第8弾は、来年デビュー40周年を迎えるタレント・西村知美(54)の登場です。1986年にデビューし、同年には日本レコード大賞の新人賞を獲得。デビュー記念日の来年3月20日には自身38年ぶりとなるソロライブを開催予定。「苦手」という歌に向き合う思いやバラエティー転身後の人生の変化、これまで出会ってきた先輩への感謝を語ります。
リリースしたシングルは22枚。持ち歌は100曲以上。すべての楽曲を「素晴らしいものばかり」と深い愛を抱いている。その中で数年来、西村には去来する思いがあった。
「誰かが歌ってくれないかな。誰かがカバーしてくれないかな」
自分で歌うという選択肢は一番最後。だが、待てど暮らせどカバーの要望は届かなかった。「このまま眠らせておくのはもったいない」。楽曲への強い思いの中で浮上したのが、デビュー記念日となる来年3月20日のソロライブだった。
「歌は苦手でずっと避けてきていた」という芸能人生。複数でのライブステージは「楽しい」と積極的に参加しているが、ソロライブは1988年以来になる。「いつかいつかって先延ばししていると、いざっていうときに後悔する。それを今変えちゃおう」。自身のモットー「いつかを今に」に加え、ファンからの強い要望に背中を押され、決断した。
ステージまで3カ月。デビュー当初は「アンコールでは歌わず叫んでいた」と振り返り「のどを鍛えなくちゃ」と意気込む。11月に小林千絵、松本明子、木元ゆうこのライブにゲスト出演した際には「何十年ぶり」に歌ったという自身の楽曲「君は流れ星」を2番から歌い出す大失敗。ファンの歌声で間違いに気づいたといい「すごくショック」と失意を抱き「40周年の時にはリベンジしてきちっと歌いたい」と燃えている。
アイドルは「架空の人物じゃないかと思っていた」というほどかけ離れた存在だった。だが、中学2年時の1984年、姉がアイドル誌「Momoko」(学研)の美少女紹介ページ「モモコクラブ」に自身に許可なく応募。85年に同誌主催の「第1回 ミス・モモコクラブ」でグランプリを獲得し、86年3月に自身が主演した「ドン松五郎の生活」の主題歌「夢色のメッセージ」でデビューした。
トントン拍子にスターダムを駆け上がったが、歌唱にはとことん苦労した。「夢色-」のレコーディングは「なかなかOKが出なくて」約半年を要するなど「レコーディングの思い出は尽きないですね」と笑う。
緊張する性格で「声が震える」ことから、作詞家や作曲家のレコーディングスタジオへの立ち入りを断っていた。それでも、作詞家の松本隆氏がフラっと姿を見せた際には、同氏による歌詞を豪快に間違い「もう冒涜(ぼうとく)ですよね」と苦笑い。作曲家の後藤次利氏からは「こんなのじゃOKを出せない」と、一度は終わったレコーディングのやり直しを命じられたことも。緊張を和らげるため、担当の女性マネジャーと手をつないで歌唱したこともあるという。
望んで入った芸能界ではない。「歌もトークも演技もダンスも何も、誰にも負けないというものがなかった。逆に好きなものもなかった」。だから執着はなく、これまでに2度、引退を申し入れている。1度目はデビュー10周年時。2度目は元CHA-CHAのメンバーで元俳優の西尾拓美氏と結婚した97年。どちらも認められなかった。「今後、知美にとってすごくやりがいのある楽しいことが待ってるかもしれないから、それをやってからでもいいんじゃないの」。デビュー当初よりプロデュースを担った所属事務所幹部の説得で翻意し、芸能界の荒波を泳いできた。
90年代以降はバラエティーに路線転換。TBS系「さんまのスーパーからくりTV」は92年の初回からレギュラー。「レギュラー陣は誰も私が初回からいたことを覚えていない」と苦笑いするが、さんまをはじめ、誰からも愛された。出産で番組を休んでいる間には、解答席に自身のパネルが登場。復帰を待ち望まれた結果、出産後半年で解答席へ。「さんまさん、うつみ宮土理さん、永六輔さん、さだまさしさん。4人の大先輩に出会わなければ、消えていたと思います」と感謝した。
出産に至る過程でも、先輩との縁に感謝している。不妊治療に苦しみ、一度はリセットした2002年。夏に日本テレビ系「24時間テレビ」の100キロマラソンに挑戦した直後、19年に死去した梅宮辰夫さんらとともに、1週間の台湾ロケの予定が組まれていた。だが、梅宮さんの負傷でキャンセル。いきなり空いた1週間の休暇で利用した夫との旅行先で、愛娘を授かったという。「あの時、海外に行っていたら子どもはできてなかった」としみじみ話した。
その愛娘も成人となった。「娘は私と違ってのどが強くて。1人カラオケで40曲歌って帰ってくる」とうらやむ。ソロライブについても「全面的に協力するよ」と言ってくれているという。
デビュー当初は「ノルマを消化するだけ」だった芸能生活も、来年が40周年。「やりたいと言ってきたことが、ありがたいことに全部叶っているので、今やりたいことが正直ないんですよね」と笑い、今後について「違う西村を出して行こうと思っている」と力を込めた。いつかは、今。ためわらず、描いた仕事を形にしていく。
◇西村知美(にしむら・ともみ)1970年12月17日生まれ。山口県出身。85年に第1回ミス・モモコグランプリを獲得。86年に映画「ドン松五郎の生活」で主演デビューし、同作の主題歌「夢色のメッセージ」で歌手デビュー。同年の日本レコード大賞新人賞を獲得した。92年からTBS系「さんまのスーパーからくりTV」のレギュラーを務めるなど、多くのバラエティー番組にも出演。97年に結婚し、03年に長女を出産。芸能界屈指の資格マニアで、59個の資格を持つ。愛称は「とろりん」。身長155センチ。血液型O。
