増田惠子 来年50周年ピンク・レディーは「自分の中のプライド」 ソロライブ開催、亡き夫との約束-歌い続ける心境語った

 透明感のある雰囲気が魅力的な増田惠子(撮影・堀内翔)
 落ち着いた透明感のある雰囲気が魅力的な増田惠子(撮影・堀内翔)
 増田惠子=1980年代
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 国民的アイドル、ピンク・レディーがデビューしてから来年で50周年になる。ケイこと増田惠子(67)はソロ歌手としても「すずめ」(1981年)などのヒット曲を持ち、8月23日にビルボードライブ大阪、9月2日にビルボードライブ横浜でソロライブ「I Love Singing!!2025~バースデイスペシャル~」を行う。増田がピンク・レディー時代の思い出や昨年、最愛の夫を亡くした悲しみに耐えて歌い続ける心境を語る。

 ピンク・レディーの人気は掛け値なしに国民的だった。仕事は1日10~15本、睡眠時間は1~2時間、休みも食事時間もないという忙しさ。2人を支えていたのは「倒れたら次の日に(仕事が)回されちゃうから、何とか倒れないように1日を終えることがテーマ」という壮絶な自覚だった。

 レコーディングは全ての仕事を終えた深夜0時過ぎから。時間がなく睡眠も必要とあってすぐにOKが出るが、2人は「これを世の中に出されたら困ります。もっともっとできます。もう一回やらせてください」と抵抗したという。

 コンサートで歌うために、寝る時間も割いて曲を覚えた。「自信を持って覚えたかどうか分からないまま本番を歌うのが、心臓が口から飛び出そうな、心臓が10個あっても足りないぐらいな感じだった。みっともないステージを見せられないという責任感もすごく重たかった」と振り返る。

 伝説となっているのは、腹膜炎の手術の傷がふさがらないままステージに上がった1977年12月の日本武道館公演だ。

 「2週間入院するところを8日間で無理やり退院させていただいて。9日目にリハーサルをして、10日目に武道館のステージに立っていた」

 増田は、ミー(現未唯mie)がその間1人で働き、増田を見舞った病室で「ただただ寝てる」姿に胸を痛め、「とにかく早くステージに立ちたい!」「初めての武道館だったので、どんなことをしてもやりたい」と思っていた。医師はもちろん止めていた。

 「傷口は開いてたから、院長先生は当日来ておなかに詰めたガーゼを交換してくださって。(血が)染みてくるかなと思ったので、ラップを巻いて衣装を着てステージに立った。これでよっしゃー!って思って。ただただステージに立てて皆さんに会って歌えて踊れてる、それしかなかった」

 増田は今も「ステージに立った時の、武道館じゅうの割れんばかりの絶叫と、皆さんがこんなに喜んで待ってくれてたっていうあの幸福感は、本当に忘れられない」と、喜びを語る。終演後、増田は次の仕事で向かったフジテレビのスタジオで倒れ、意識を失った。

 増田はミーとの関係性を「戦友」だという。

 ピンク・レディーは81年に解散。何度かの再結成を経て、2010年には解散をやめた。長く続く理由を「縁だなあと思いますね。神様からもらった縁ですし、ミーと出会ったことでピンク・レディーがあって、神様からもらった使命なんだなって思いますし、ミーとの前世からの縁みたいなものがあるんだろうなって。出会うべくして会った人っていう感じですね」と説明する。

 増田にとってピンク・レディーとは何なのか。

 「やっぱり自分の中のプライドですね。ホントに大事に大切にしていきたいものですね」

 増田は昨年8月21日、22年間連れ添った桑木知二さんを70歳で亡くした。夫がいつも口にしていた「ステージに立っているケイが一番輝いていて一番好きだ。唯一無二の声だから自信を持って、大事にして、一日も長く歌い続けてほしい」という望みをかなえるため、「歌える限り歌っていきたい」と言う。

 夫との約束だけではない。増田は「歌ってる時がこの上ないほど幸せな時間と瞬間」だといい、「悲しい思いとか、寂しい思いとか、辛かったことを全部忘れてもらって、夢の世界に誘えるようなステージにしたいなといつも思っている」とファンに寄り添う。

 大阪公演は桑木さんの一周忌の2日後になる。「誰よりも私が歌に励まされて、主人がそばで見守ってくれていると思うので、主人にもらった笑顔を輝かせて、皆さんとともに楽しみたい。主人は楽しいことが大好きで、私の歌声も大好きなので。大切な人を亡くされた方も沢山いらっしゃると思うので、愛は消えない!っていうメッセージを伝えて、時間を大切に過ごしていきたい」と願っている。

 ビルボードのライブは1回約70分で各日2ステージ。1回で13曲を予定しており、「ピンク・レディーのナンバーは4曲ずつ、全部で8曲あるんですが、1部と2部は曲目を変えて。9曲あるソロの楽曲も1部と2部、半分以上変えているので、1部も2部も楽しめると思います」と、2ステージとも見るファンへの心配りも怠らない。

 ソロライブでもピンク・レディーの楽曲は「オリジナルのまま歌って踊ります」。「こんな曲も歌ってくれるの?って、皆さんが絶対喜んでくれる」という、レア曲の投入も予告した。

 増田は「いつ歌のお仕事が入ってきてもいいように準備万端です」と言い切る。週4~5回の発声練習は1回45分。歌の練習は「歌い出すと止まらないので、時間を決めて目覚ましをかけて」行う。加湿やうがいなど喉の保護は欠かさず、自ら料理し、バレエやピラティスに励むなど、コンディショニングにも油断はない。全ては「命」と言い切る歌のためだ。

 「歌っている時だけは全てを忘れられるので。歌えなくなったら悲しい。私じゃなくなっちゃうので、一日も長く歌っていたい」

 増田惠子は、これからも歌い続ける。

 ◇増田 惠子(ますだ けいこ)1957年9月2日生まれ、静岡県出身。76年、ミー(現・未唯mie)とケイのピンク・レディーとしてシングル「ペッパー警部」でデビュー。10曲連続ミリオン、9曲連続1位を達成。米国でも「Kiss In The Dark」がビルボード37位となり、三大ネットワークNBCで冠レギュラー番組「Pink Lady Show」を持つ。81年、後楽園球場コンサートで解散。中島みゆき作詞作曲「すずめ」でソロデビューし40万枚のヒット。89年、仏デビュー。女優としては映画「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「あした」、ドラマ「木更津キャッツアイ」などで好演。血液型O。趣味はクラシックバレエ、料理、ガーデニング。

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