20世紀史上最強のアイドルグループ 崖っぷちから出発&迷走のユニット名が衝撃「売れるわけないでしょ?」
タレント・勝俣州和が23日、自身のYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」を更新。
元ピンク・レディーの増田惠子をゲストに招き、大ブレークに至るまでの紆余(うよ)曲折を深掘りした。
勝俣は、視聴者に、増田と、相方の未唯mieとともに静岡県出身だと説明し「僕は小学生の時に見てたんです。ピンク・レディーがデビューしたときに僕は5年生。静岡から2人の女の人が出てきて」と振り返った。
増田はデビュー前は順風満帆ではなかったと回想。オーディション落ちも経験し「落ちた理由は『生意気そう』『新鮮みがない』とか。ミニスカートで派手に歌って踊って『私たちが受かるわよ』みたいな。思いっきり出鼻くじかれて」と話した。
「とにかく腹黒い高校生だったの。だって、全てを注いでこっからデビューできるんだ!って(高校)3年間、本当に信じてたのに。もう3年生、春過ぎて。みんな就職とか決まってたのに、私たちは何も決まってない」と振り返った。
当時、高校の校長から呼び出され、進路の決定を促されたが「校長先生に『二兎を追うものは一兎をも得ずって言うでしょう?』って」と当時から歌手としてブレークすることだけを目標にしていたと明かした。
超大型オーディション番組「スター誕生!」に挑む際には、成功するまで静岡の地を踏まない覚悟を誓い、2人で上京。
「2人でもう前回の失敗が何だったのか全部書きだして。とにかく出てるところは『手首から先と首から上!』」とのちのブレークとは懸け離れた清純派路線で臨んだと述懐した。
デビュー決定後、今度はユニット名も迷走を重ねたと述懐。提示された候補名は静岡名産みかんにちなんだ「みかん箱」、茶葉をイメージした「ちゃっきり娘」などだったという。増田は「あと一つは『白い風船』」と苦笑。勝俣も「『みかん箱』なんて売れるわけないでしょ?」と爆笑していた。
