箱根駅伝俳優、4年時は金髪サングラスで激走 EXIT兼近も「チャラっ!」
日大時代に箱根駅伝を走った俳優の和田正人が11日、日本テレビ系「メシドラ」で、3年時の痛恨時を経て、4年で激走したときの姿を放送され、赤面した。
この日は和田と、青学大陸上部の原晋監督が、満島真之介、EXIT兼近大樹とともに、青学大陸上部の寮がある町田をロケ。その車中で、和田の箱根駅伝時代を聞いた。
和田は日大で駅伝主将を務めた主力。だが実際に走ったのは2年と4年の2回だけだった。和田は「1年のときからレギュラーメンバーだった。1年のときは3区を走る予定で、でも12月下旬にケガをして出られなかった」といい、3年時でも3区を走る予定だったが「前日に体調不良。呼吸ができなくて。3年目だから緊張はなかったが、呼吸をしても全然体に入ってこない。こんなので20キロ以上走れないと。このまま黙って走ってもどこかでストップするかもしれない」と思い「監督の判断に任せよう」と、監督に打ち明けたという。
直前まで「監督がどうしてもお前が走ってくれと言ったら行こうと思っていた」というが、監督はあっさり「よし、交代しよう」。これを聞いた和田は「膝から崩れ落ちて大号泣」したといい、家族も高知から出発していたため「凄い残念がって」いたというが、最後は和田の体を心配してくれたという。
4年の時は、この時の悔しさから「しっかり調整して、何が何でも今年はと。3年の時の失敗が生かされている」としっかり調整して9区を激走。その時の映像について「ぜひ兼近さんに見てほしい」「ウルフカットがはやってて、襟足長めの金髪」と紹介。兼近は「チャラっ!」「なんでそんなやつがプレッシャーかかってるの」と爆笑していた。
