ジョン・カビラ 沖縄を感じて 朝ドラ「ちむどんどん」で語り 15日 本土復帰50年

 ラジオパーソナリティーや司会、スポーツ番組のMCなど幅広く活躍するタレントのジョン・カビラ(63)が、NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(総合、月~土曜、前8・00)の語りを担当している。ヒロイン比嘉暢子(黒島結菜)と同じく沖縄で生まれ育ち、沖縄が日本に復帰した1972年に上京したカビラ。5月15日の復帰50年の節目に合わせて、作品に参加する感慨、故郷への思いなどを聞いた。

 耳に心地よい低音ボイスが朝ドラをさわやかに彩っている。

 沖縄・やんばるで生まれ育ったヒロイン暢子とその家族を描く物語。カビラに「語り」のオファーを受けた心境を問うと「まさかや~」。暢子も口にするウチナーグチ(沖縄方言)が返ってきた。「不安もよぎりましたが、うれしさ爆発の瞬間。施政権返還50周年の節目の年。同じ復帰を経験した者として誇りに思うし、ありがたかった」。

 ドラマで描かれる米国統治下の沖縄で1958年に日本人の父と米国人の母の間に生まれた。「(自分は)主人公の5歳ぐらい下。やんばるに家族旅行で行ったこともありますし、ドル紙幣が出てきたり、首里の郵便局でドルを円に替えたりした日を思い出したりしましたね」

 50年前の72年5月15日。夢を追って東京に旅立ったヒロインの姿は自身と重なる。同じ年の夏。中学2年の1学期を終え沖縄を後にした。復帰によって、父の川平朝清さんが初代会長を務めていた沖縄放送協会がNHKに吸収合併され東京勤務になったためだった。

 「母の両親の金婚式の年でもあったので、故郷、米・カンザスにお祝いに行き、帰ったのが沖縄ではなく東京。大きな旅の夏でした。家族にとっても激動の年。不安、寂しさもありつつ、新たな環境に飛び込むワクワク感がありました」。暢子同様「ちむどんどん」(心が躍ること)しての上京だったようだ。

 語り手として幅広く活躍するカビラだが、現在の仕事には「偶然の出会い」で就いたという。大学卒業後、就職したのは大手レコード会社。海外との渉外部門で語学力を生かし出演交渉や通訳も務めた。だが「東京にFM局が新たにできるので挑戦してみないか」と誘われ29歳で新たな道へ。開局に携わったJ-WAVEでは現在も名物ナビゲーターとして番組を担当する。

 実は父は、戦後沖縄のラジオ局で初のアナウンサーを務めた人物。導かれるように、自身も語り伝える仕事を選んだことを「数奇な運命というものは感じますね」と振り返る。

 ドラマには返還にまつわる当時の映像が挟み込まれ、沖縄の歴史を垣間見ることができる。ただ「沖縄に関心を持っていただけるのであれば、どんな入り方でも」と話す。

 「主人公を通して沖縄の人たちは、どんなことにうれしがったり憂いを感じたり、『ちむどんどん』してたのか体感していただき、じゃあ、今の沖縄はどうなってるんだろうと思いをはせるチャンスになっていただければ。おいしい料理、お酒もあります。織物、焼き物、沖縄独自の民芸や芸術も!」とカビラ節を全開に。

 そして言葉を重ねる。「沖縄に足を運ぶ選択をされた皆さんに、もしも、ちょっとでも時間があれば、南部戦跡や平和祈念公園、そういった所にも足を運んでいただければな、と」。復帰50年。故郷への思いは深く熱い。

 ◆ジョン・カビラ(じょん・かびら)1958年生まれ。沖縄県出身。国際基督教大学卒。CBS SONY(現ソニーレコード)勤務時代は渉外を担当、ミック・ジャガー、TOTOなどの通訳も。88年のJ-WAVE開局時にナビゲーターに転身。05年にギャラクシー賞の「DJ パーソナリティー賞」、10年に同賞「ラジオ部門大賞」受賞。川平家は琉球王朝の流れを継ぐ家系で、俳優の川平慈英は実弟。

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