牛来美佳「いつかまた浪江の空を」 メジャーデビュー決定、3・11「風化させない」

 2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原発事故から11年となるきょう11日、福島県浪江町出身のシンガー・ソングライター牛来(ごらい)美佳(36)が配信シングル「いつかまた浪江の空を」でメジャーデビューする。“フクイチ”から4キロの浪江で生まれ育ち、事故で群馬県太田市での避難生活を余儀なくされた牛来が、故郷を取り戻せるようにとの願いと祈りを歌った楽曲に込めた思いを聞いた。

 「いつか-」は牛来が15年3月11日にYouTubeで発表すると大きな反響があり、同年の24時間テレビで歌唱した楽曲だ。

 共作した音楽家の山本加津彦氏とは09年に浪江の町おこしイベントで出会った。その際、山本氏が「青々とした奇麗な空が印象的」だと話したことから、その空の下で「また浪江の人たちが逢えるように…少し先の未来に希望を描いて進んでいく」との思いで「いつか-」をつむいだ。

 牛来は震災まで福島第一原発内で事務員として勤務していた。事故で浪江は全町民強制避難指定区域となり、当時5歳の娘と太田で避難生活を送ることに。当時住んでいたアパートは解体されて更地になった。

 浪江町自体も建物の解体が進んで更地が目立つようになり、震災前は建物や民家で見えなかった場所から遠くを見晴らせる。「その空間だけが存在する風景に悲しさも感じています」という。浪江町は17年に帰還困難区域を除き避難指示が解除されたが、町の公式サイトによれば、1万9788人(2月28日時点)が県内外で避難生活を送っており、町内在住者は約1600人にとどまっている。

 多くのものを失い、「伝えなくてはならないことがたくさんある」と決意。「とてつもない悔しい気持ちを伝え続ける一人」としてシンガー・ソングライターの道を歩み始めた牛来は、東北や避難先の群馬をはじめ全国各地で復興支援チャリティーライブや講演を行い、震災を伝えてきた。

 「いつか-」を歌う時は「また浪江で逢いたい」という思いを素直に込める。過去、今ではなく「未来」にしか例えられない「いつか」という3文字に故郷への想いをはせて。そのことで「たくさんの人々が大切な想いに改めて気が付いたり、震災のことを風化させない=浪江町のことを知っていただける機会へとつながってくれたら」と願っている。

 11年がたって震災の風化が指摘されるが、牛来は「『いつ、どこで、何が起こるか分からない』という認識と共に、とにかく自分の命を守るということを意識し合いたい。それには過去の震災や災害の教訓が必要」だと考えている。自身も「伝え続けることでより多くの方々に届け、少しでも意識度を上げることへもつながれば」、「当たり前の大切さを皆で共有し合うことで、風化させない、一つになれば」と考えながら、歌っていく。

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