大黒摩季「地獄でした」子宮腺筋症悪化も鎮痛剤なしの初ツアー「徹子の部屋」で回顧
歌手の大黒摩季が5日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演。20代に経験した子宮腺筋症の闘病による「地獄の日々」を語った。
大黒は1992年にデビュー。「ら・ら・ら」「夏が来る」「熱くなれ」などがヒットしたが、メディア出演もせず、ライブも行わない謎のアーティストとして活動した。
しかし97年8月、初ライブが決定。ファンの前で歌声を初めて披露するステージを半年後に控えて、「声が出にくくなる」という自覚症状をきっかけに、病気が発覚したという。
「結局、子宮腺筋症という病気だったんですけど(子宮)内膜症とか卵巣嚢腫とか、おなかの中に(病気が)何種類もあったんですよ。痛いから薬を何種類も使って、女性ホルモンを下げようとしたら、(声の)キーも下がったんです。ライブの半年前にキーがガガガガガッって下がって、どうしようと」
薬の副作用で声のキーが下がり、これまでの発声がしづらくなった。歌手としては致命的な状態で、厳しい選択を迫られた。
「そのときに、(医師から)『この薬をやめたらこれ以上のも薬はないから、(病気と)付き合っていくしかないけど、もっとひどくなったら子供産めなくなるよ』ってきっぱり言われて」
悩む大黒は決断をする。
「デビューして初ライブだったんですよ。4万7000人(のお客さん)が決まってたんですよ。この人達を裏切って、用意してくれたスタッフを裏切って、生きていけないなと。根が単純なので、未来で薬とかできるんじゃないかなと、ひとまず、期待に応えようと、歌う方を選んだんです」
初ライブから全国ツアー。その最中に病状に変化が訪れた。
「勢いで回ったツアー中にすごい悪化して。(ステージで歌っているときにすごい痛くなった?)そうなんですよ。でも鎮痛剤とか使うと、頭がぼやっとしてくる。ぼやっとしている暇のない曲が多いので、ぼやっとするくらいなら痛みこらえるしかないと。強い声出すじゃないですか。(おなかの筋肉を)引き締めると、ウッとなる曲ばっかりで」
笑って振り返ったが、司会の黒柳徹子から「大変でしたね」とねぎらわれると「いやあ、地獄でしたね」と正直に吐露した。
「(「大黒摩季はもう歌えない」とか)心ない言葉をいっぱい浴びましたね。(しゃべり声が)ハスキーなのは元々なのに『酒焼け』とか『もう終わった』とか書かれて、しくしく泣いてましたね。『何もしらないくせにー』って」と述懐した。
