片岡愛之助の才能を見抜き歌舞伎界に導いた秀太郎さん 部屋子から養子に

 歌舞伎俳優で人間国宝の二代目片岡秀太郎(本名・片岡彦人=かたおか・よしひと)さんが23日、慢性閉塞性肺疾患により大阪府吹田市内の自宅で死去した。79歳。

 上方歌舞伎の名門で、十三世片岡仁左衛門の次男。兄が片岡我當、弟が十五代目片岡仁左衛門。片岡愛之助は養子で、子役として歌舞伎に出演していたときにその才能を見抜き、梨園に誘い、9歳で父の部屋子(へやご)とした。部屋子とは大部屋で過ごす一般の弟子とは違い、師匠と同じ楽屋で過ごし、行儀から芝居の全てを学ぶ。いわば将来を見込んでのこと。

 愛之助は大阪府下で工場を経営する一般家庭で育った。だが幼い頃からその才能と人柄を、誰よりも買ってきた秀太郎さん。愛之助の高校卒業後、自身の跡継ぎとして養子に迎えた。その環境に早く慣れようとした愛之助は「何かするときは『お父さん、お父さん』と言い続けたら、『お父さん、お父さんとうるさいよ』と笑われたことがある」と振り返ったこともある。さらに以前「一般家庭から歌舞伎の世界に入るなんて、思ってもなかった。父に声を掛けられていなかったら、(実の)父親の工場をついでいたんやないかなぁ」と語り、感謝していた。

 またこの日、「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れて下さった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になると兎にも角にも厳しい方でした。上方にこだわり上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」と誓った。

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