元宝塚星組トップスター“男装の麗人”峰さを理さん死去 甲状腺がん、68歳

 峰さを理さん=2016年撮影
 ミュージカル「シカゴ」の会見で宝塚の歴代トップスターたちと並ぶ峰さを理さん(右から4人目)=2016年8月
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 豊かな歌唱力と的確な演技力で人気を博した元宝塚歌劇団星組トップスターで、退団後は女優、歌手として活躍した峰さを理(みね・さをり、本名安田峰子=やすだ・みねこ)さんが1月30日午後10時50分、甲状腺がんのため東京都内の病院で死去したことが同31日、分かった。68歳。福井県敦賀市出身。葬儀は近親者のみで営まれる。  

 所属事務所によると、甲状腺がんの診断を受けたのは昨年7月。比較的、進行が早いタイプだったといい、抗がん剤治療や、最近では放射線治療も受けていた。

 入院はせずに通院治療を続けていたが、1月24日から体力が弱ってきて入院。呼吸が苦しくなり、言葉も出ないような状態が続き、めいにみとられて最期を迎えたという。

 公式サイトのメッセージは昨年11月28日の投稿が最後で、「足の小指側の細い骨」の骨折を報告。「皆さんは大丈夫ですか?心身共に健康ですか?くれぐれも気をつけて下さいね!」と、病身にもかかわらずファンを気遣っていた。

 峰さんは1970年、宝塚音楽学校に入学。82年のデイリースポーツのインタビューでは、実家がカマボコ店で「何も知らずに受けた」と明かしている。

 72年、58期生として入団し初舞台。よく通る豊かな歌唱力と、的確な演技が魅力で早くから注目された。

 73年に雪組から星組に転属となり、83年に瀬戸内美八の後を受けトップ就任。幼い頃から日舞を習っていたことから日本物のショーや芝居が傑出しており、「祝いまんだら(春の踊り)」、「西海に花散れど」、「別離の肖像(第一の肖像)」など多くの日本物を演じた。中でも男女の双子を1人で演じた「紫子」は、男装の麗人ぶりが評判を呼んだ。

 退団後は女優、歌手として活躍し、ミュージカル「レ・ミゼラブル」、「シカゴ」などに出演。日本舞踊家として宝塚歌劇団の日本物ショーの振り付けなども手がけた。2014年には「宝塚歌劇の殿堂」入りした。

 闘病中も仕事は続け、昨年12月20日にはクリスマスディナーライブを開催した。今年3月16、17日にはコンサート「TOKYO MODERN TIMES 2021」出演が決まっており、宝塚から振り付けのオファーもあったというが、惜しまれる旅立ちを迎えることになった。

 ◆峰さを理(みね・さをり)1952年7月15日生まれ、福井県敦賀市出身。本名安田峰子(やすだ・みねこ)。70年、宝塚音楽学校入学。72年、宝塚歌劇団入団。雪組「かぐら」、「ザ・フラワー」で初舞台。73年、星組に転属。83年、星組トップスター就任。87年の退団後は女優、歌手として活躍。「西崎峰」の名前で日本舞踊家としても活躍した。2014年の劇団100周年に創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人に選ばれた。愛称は「峰ちゃん」。身長169センチ。血液型B

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