50周年の頭脳警察 結成前は…大手をケンカして辞め、ストリップの合間に弾き語り
過激な歌詞のためアルバムが相次いで発禁になったり、新左翼系のイベントに出演したりするなど、反体制の象徴でもあったPANTA(69=ボーカル、ギター)とTOSHI(69=パーカッション)の伝説的ロックバンド「頭脳警察」が12月で結成50周年を迎える。9月18日には50周年記念アルバム「乱破」も発表した二人が、結成前の秘話を明かす。
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知り合ったのは17歳で、共にアマチュアのバンドで活動しており、「前のオリンピックのクレー射撃場が所沢にあったんですよ。射撃場のプールサイドで演奏してたの、TOSHIは」(PANTA)、「それはベンチャーズね」(TOSHI)という10代を過ごしていた。
PANTAはバンド「ピーナッツ・バター」でホリプロのオーディションに受かったが「ケンカして辞めた」。18歳だった。その後、弘田三枝子のバックバンド「MOJO」に短期間参加したが、その間「上野の不忍池のキャバレー」でアルバイトしていた。
「ストリップの合間に弾き語りで遊んでるわけね、バイトしながら。お客さんなんか女の子とキャアキャア言って誰も聴いちゃいないから、アニマルズからボブ・ディランから森進一から昨日作った曲から、何でもわが物顔でやってたね。誰も文句言わないから」
PANTAが「ストリップの合間にやるって言ったらTOSHIが『連れてけ、連れてけ』って」と暴露したが、TOSHIは「タダで女性の裸が見られるし、ストリップに行くお金なかったし」と悪びれない。
2人はバンド「スパルタクス・ブント」を経て頭脳警察を結成した。半世紀前、1969年12月のことだ。
「TOSHIの清瀬の家の2階で、TOSHIの部屋で『頭脳警察って名前にする』って言ったの覚えてるかな?」(PANTA)
PANTAは「これからはアマチュアでやるぞ。もう事務所も関係ないんだから、好きなようにやる。オリジナルもたまってる。バンドの名前も頭脳警察にする」と意気込んだという。2人は19歳になっていた。
「最初に『TOSHI、アメリカ行く?日本でやる?』って聞いたんだよ。日本人ってバカだから、海外のことも崇拝する民族だから、逆輸入で。TOSHIの『日本でやるべきだろう』という一言で、俺はそれをずーっと守ってるのね。かたくなにね」
日本のロッカーが海外進出を図った時代でもあった。ミッキー・カーチスはバンド「サムライ」で欧州に、内田裕也がプロデュースしたフラワー・トラベリン・バンドはカナダに進出。ウエストロード・ブルース・バンドやソー・バッド・レビューのギタリスト、山岸潤史はブルースを追求してニューオリンズに移住し、今も現地で活動している。
バンド名は、フランク・ザッパ率いる前衛ロックバンド「マザーズ・オブ・インベンション」のファーストアルバム「フリーク・アウト!」(66年)収録曲「フー・アー・ザ・ブレイン・ポリス?」から。当時の日本で「マザーズはそんなにポピュラーじゃないけど、ロックに興味があるコアな人たちが聴いていたグループ」(TOSHI)だった。
PANTAは「ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにアレン・ギンズバーグという詩人がいて、ギンズバーグが引っ張ってる、詩人たちが楽器持って歌うファグスってグループがあった。ヘタなんだけどものすごく大好きだったの。TOSHIにも聴かせた覚えがある。その後でマザーズを聴いて『なんだファグスみたいじゃねえか、これ好きだなあ』って」と、頭脳警察という印象的な名の、文字通り“生みの親”となったマザーズとの出会いを振り返った。
◇頭脳警察結成50周年ライブ 11月25日=東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGE