Wヤング・平川幸男さん急死 漫才ブーム支えた功労者 5月に体調崩し療養も…

 死去した平川幸男さん
2代目Wヤング・佐藤武志(左)と平川幸男さん=1984年 
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 横山やすし・西川きよしと並ぶ上方漫才の大スターだった漫才コンビ・Wヤングの平川幸男さん(ひらかわ・ゆきお、本名平川幸朗=こうろ)が11日、大阪市内の病院で死去したことが12日、分かった。78歳。神戸市出身。病気治療のため入院していたが、11日に容体が急変。帰らぬ人となった。通夜、告別式は家族葬で執り行われる。

 所属する吉本興業は「急逝いたしました」と明かした。関係者によると、5月のNGK出演後に体調を崩し、療養中だったという。

 平川さんは昨夏頃から左膝の痛みを感じ、かばって歩くうちに腰も悪化。今年2月に左変形性膝関節症と腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を受けた。47日間の入院後、4月9日になんばグランド花月(NGK)で仕事復帰。糖尿病の悪化で、入院当初は手術が受けられなかったと告白した。食事療法で体重は64キロから52キロまで激減していた。

 1941年10月5日、神戸市出身。58年から舞台に立ち始め、61年に西川ヒノデに弟子入り。64年に中田治雄さんと初代Wヤングを結成し、ダジャレの連発やテンポの良い掛け合い、「エライスンマヘン」、「チョット聞いた?」、「へんなの」、「アホかいな」といったギャグで一躍人気者になった。

 75、78年に上方漫才大賞を受賞するなど「やすきよ」と共に演芸ブームをけん引したが、79年、野球賭博による借金苦から中田さんが投身自殺する悲劇に見舞われ、「なんで死んだんや…」と号泣。「漫才はもうやりません」と宣言した。

 84年に現在の相方・佐藤武志(65)とWヤングを再結成。自身の歌やダンスを取り入れ、舞台上を走り回る体当たりの漫才で再び人気を博した。弟子には吉本新喜劇の女優・宇都宮まきらがいる。

 佐藤は「今後迎える喜寿・米寿・卒寿などの長寿祝い年で、なんばグランド花月ででっかいイベントをやって悔いなく引退できればいいなと話していました。あと10年はやれると思っていました。その夢が叶わず無念で心寂しい思いです」と、悔しさをにじませた。

 4月の復帰舞台で佐藤から「90歳までやってほしい」とエールを送られ「それこそ、アホかいな」と返していた平川さん。人気絶頂時に突然の別れとなった中田さんと、天国で40年ぶりの再会を果たしているに違いない。

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