桑名晴子インタビュー(後)「人とのつながりを求めて旅をしていた」40年

 シンガー・ソングライターの桑名晴子(62)が昨年、デビュー40周年を迎え、12月12日には現在、名盤として評価されているデビューアルバム「ミリオン・スターズ」のアナログ盤が復刻された。現在はギターを抱えて日本中でライブを行っている桑名が、来し方と行く末を語るインタビュー。後編では、メジャーを離れた弾き語りの旅で見えてきた、今の日本の姿について語る。

  ◇  ◇

 「例えば、3・11以降、東北で農業を諦めて、四国だとか岡山に移住して、新しい農業を始めている若い人たちの問題とか。移住して、現地の人とあまりうまくいかないとか。地元の農業をやっている人と移住した人、両方が(ライブに)遊びに来てくれれば、そこで大きな心で受け入れてくださいとお願いしたり、移住した人にあそこは今こんな状況と伝えたり、そんなことを旅しながらやるようになって」

 「現地の人が求めている声と表面化しているニュースにはなんかギャップがあると感じて。人とのつながりを求めて旅をしていたんだと、この40年を振り返って思いますね」という。

 「旅してすごく思うようになったのは、豊かさって何かなと。『何もないですけど来てください』って(呼ばれて)行ったら、すごく温かく迎えてもらったり、何でもあるから(かえって)閑散としているところがあったり」

 日本各地から「すごく大好きな景色がどんどん失われて」いき、「どんどん変わっていく様」を見届けながらも、「結局、歌い続けていることは変わっていない」という。

 「もちろん私も平和が大好きで、戦争も原発も絶対に反対ってタイプですけど、歌とか音楽は賛成の人、反対の人、両方の人に響く。両方のいいバランスをコントロールできる。水と油をうまくミックスしてコンビネーションドレッシングができるように、最新の科学と古くから伝わる文化の良いところがコンビネーションされる新たな世界観が生み出されば、いい道ができるようになるといいと思う」と、ものの見方、考え方は柔軟だ。

 現在の主な活動の一つに、ボランティアがある。1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故、昨年であれば北海道の地震や西日本の豪雨など、日本は常に災害に見舞われてきた。また、世界に目を向ければ、戦火が絶えることはない。兄で「月のあかり」、「セクシャルバイオレットNo.1」などのヒット曲で知られる故桑名正博さんらとの災害支援運動「ハート・エイド」などで、桑名は被災者や恵まれない子供らへの支援を続けてきた。

 「日本中旅してるから、どっかで地震があると、友達のこと(関係)から災害支援ライブも増えてきた。そんなことをしているうちに、被災した人と心の話を聴くようになって、余計にそういう人たちの立場になって、ホントにこれからの暮らしはなんだろうと思う。被災地の方が(人間が)温かったりする」

 桑名は「どれだけ地球に良き形で返還していけるかが、自分たちの生活になっていくかも」と考えている。

 現在、62歳。ライブで聴かせる歌声から衰えはみじんも感じられないが、桑名は「音楽に年齢はない」と言う一方で、「自分が好きで始めたから、好きな時に辞めようと思う」とも話す。

 とはいえ、昨年の夏からは、新しい音楽活動も始めている。デビュー前から共演していた伝説のバンド「ティン・パン・アレー」(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)のメンバーで、日本を代表するドラマー、林立夫とのバンドだ。

 「10代の時、スタジオで一緒になってた林立夫さんが『一緒に何かしません?』って言ってくれて、林立夫さんと(ギター)佐藤克彦さんと私と3人でトリオバンドを組んで、また新しい音楽の世界でやっていこうと始まった」

 桑名晴子の音楽の旅は、まだまだ辞められそうもない。(終わり)

 【今後のライブ予定】

 ◇2月16日 タルマッシュ(東京・西大井)

 ◇2月22日 コーナーストーン・バー(大阪・南堀江)

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