下田逸郎インタビュー(前)古希を迎えて発表したニューアルバム「忘我」

公開レコーディングを行った下田逸郎=今年5月、神戸チキンジョージ
古希を迎え、ダルマに目を入れた下田逸郎=今年5月、神戸チキンジョージ
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 いまやスタンダード・ナンバーになった「セクシィ」や「月のあかり」などで知られる伝説的シンガー・ソングライターの下田逸郎が今年、70歳の古希を迎え、久々のオリジナルアルバム「忘我」をリリースした。現在は神戸に居を構えて活動している下田が新作や現在の心境を語るインタビュー、その前編をお届けする。

  ◇  ◇

 70歳を迎えた今、なぜニューアルバムの制作に踏み切ったのだろうか。下田は「もう1回、デビュー」なのだと打ち明ける。

 「自分で作って自分で歌うっていうのから、ちょっと離れて、業界風には作詞家になったり、ちょっとプロデューサー風になったりなんかしてたんだけど、原点の、自分で作って自分で歌って自分のアルバムを作るってところに、もう1回できるかもなと思ったからだな。先生みたいになっちゃったりさ、大御所だとか、ほら、化石だとか(笑い)。過去をもう切っちゃおうかなって感じかな」

 70歳という節目は、さほど気にならなかったという。

 「60(歳)あたりが一番気にするんだろうね。60すぎてから周りがバッタバタ死んでるから。70になるともう、浮世離れ?世間離れというか。いい意味で余生みたいなもんだろ?世の中を本当の意味ではみ出て行くという。あの世この世っていう歌をずっと作ってきたけど、この世もあの世もつながっているんだと思うよ。社会的に古希とか言うから、それを使ってるんじゃないの?逆に言うと。成人式みたいなもんと一緒だと思うよ」

 下田はひょうひょうと死生観を述べた。「忘我」は全編を通じて、下田の死生観が色濃く表れているアルバムになっている。

 当初は「総集編みたいなの作ろうと思ったんだけど。よく出すやん?みんな、ボックスとか、今までの歌って。それで一つ終わりやな思って」と考えていた。結果的にボックスやセルフカバーなどではなく「ほとんど新曲」のオリジナルアルバムになった訳を、下田はこう説明する。

 「要は、曲の整理みたいなのをし始めてた時に、こんな歌がCDになってない、レコードになってないんだっていうようなものもピックアップしたし。その昔の歌と、今作ってる、この2~3年作ってた歌とが、底の部分でつながってんだなと自分で気付いたのもあるから」

 気付いたことは、まだある。

 「音楽って形がないじゃん。形がないってことは宙に浮いてるようなもんで、空気みたいなもんだろ。それをはっきり気付いた。それがヒットさせようとか売れるみたいなこともやってきた訳やから。そうじゃない、俺のやってきたことは、ずーっと宙に浮いてる」

(中編に続く)

 【プロフィル】下田逸郎(しもだ・いつろう)1948年生まれ、宮崎県出身。2歳で東京に引っ越す。18歳で浜口庫之助に師事。20歳で寺山修司に出会い、演劇や音楽の音楽を担当、浅川マキに曲提供。同じハマクラ門下の斉藤ノブ(現ノヴ)とのユニット「シモンサイ」でシングル発売。21歳で東由多加の東京キッドブラザーズに参加。「黄金バット」がニューヨークでロングラン公演。25歳でスウェーデン、スペイン、フランスをさすらいNYへ。帰国後、シンガー・ソングライター、プロデューサー、作詞家として活躍。37歳でエジプト、47歳でフランスに渡り、62歳でまたもやNYへ。主な楽曲に「踊り子」、「セクシィ」、「LOVE HOTEL」、「早く抱いて」、「月のあかり」など。近作に「相棒」の六角精児と組んだアルバム「緑の匂い」がある。

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