樹木希林さん逝く 13年全身がん公表、最後は家族にみとられ安らかに

 女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子=うちだ・けいこ)さんが、15日午前2時45分に東京都渋谷区の自宅で死去していたことが16日、分かった。75歳。詳しい死因は不明。樹木さんは1961年に悠木千帆の芸名で女優デビューし、独特の存在感が光る個性的な演技で数々の賞を獲得。2005年には乳がんの手術を受け、13年には全身がんを告白するなど、長い闘病生活を送っていた。通夜は16日に自宅で行われ、葬儀・告別式は30日に東京・光林寺で営まれる。

 日本の演劇史を彩った個性派女優が突然、その生涯を閉じた。関係者によると、樹木さんは家族にみとられながら、静かに息を引き取ったという。

 樹木さんは1961年に文学座付属演劇研究所に1期生として入所。女優として第一歩を刻んだ。64年にはTBS系ドラマ「七人の孫」にレギュラー出演して全国的な人気を獲得。66年に文学座を退団した後も、テレビや映画、舞台と幅広く活躍した。

 74年にはTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」で、小林亜星(86)が演じる主人公の母親役を好演。当時人気絶頂の歌手・沢田研二(70)のポスターを見て「ジュリ~!」と身悶える演技が話題となった。TBS系「時間ですよ」シリーズでもレギュラーを務め、人気を不動のものとした。

 77年にはテレビ番組の企画で、芸名を2万200円で売却し、「樹木希林」に変更。コミカルな役から重厚な役までこなすバイプレーヤーとして、数多くの作品に出演した。

 70年代後半には歌手の郷ひろみ(62)とTBS系ドラマ「ムー」「ムー一族」で共演し、「お化けのロック」「林檎殺人事件」とデュエット曲も発売。80年代にはNHK「夢千代日記」シリーズで、主演の女優・吉永小百合(73)を支える名脇役として輝いた。テレビCMではピップフジモト「ピップエレキバン」や富士フイルム「フジカラー」などが人気に。02年には消費者の女性CMタレント好感度で1位となった。

 晩年は映画出演が中心に。07年公開の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」と、12年公開の「わが母の記」で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。10年公開の「悪人」では同賞最優秀助演女優賞に輝くなど、日本映画界になくてはならない存在となった。

 プライベートでは、64年に俳優の故・岸田森さんと結婚するも、68年に離婚。73年にミュージシャンの内田裕也(78)と再婚したが、1年半で別居となり、そのまま同居することはなかった。81年には内田が無断で離婚届を提出したことで離婚無効の訴訟を起こし、勝訴した。

 病との闘いも長く、05年に1月には乳がんで右乳房を全摘出。10年にはリンパ節や骨など全身13箇所への転移が判明した。今年8月13日には知人宅で転倒して大腿骨を骨折。同30日には、娘婿の俳優・本木雅弘(52)が、樹木さんが一時危篤状態にあったことを明かしていた。

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