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小川宏さん 朝ワイドの礎作る 名司会ぶり、黒柳徹子が「春の小川」と命名

 フジテレビのワイドショー「小川宏ショー」の司会で人気を集めたアナウンサーの小川宏さんが、11月29日、多臓器不全のため亡くなっていたことが5日、分かった。90歳。温かみのある語り口が人気を集め、1965年からスタートした「-ショー」は17年間(計4451回)続き、個人の名前をつけた生番組としては世界最長のギネス記録(当時)を持つなど、現在のワイドショーの礎を築いた。

 民放各局で朝ワイドを一番先に手がけたのは1964年4月スタートのテレビ朝日「モーニングショー」。次いで65年5月にフジ「小川宏-」が始まった。ニュース色一辺倒の「モーニング-」に芸能色を交えた柔らかい話題で、「モーニング-」から視聴者を奪い、朝ワイドの流れを変えた。

 一時は10%を超える高視聴率も記録したが、最終的には5%前後となり、82年3月31日に打ち切りとなった。

 番組終了時には、午後8時半スタートの各局ワイドショー戦争が激化。“8・30戦争”と言われるほどで、硬派のテレ朝「モーニング-」、中間派の「モーニングジャンボ 奥さま8時半です」、軟派の日本テレビ「ルックルックこんにちは」という傾向があった。フジ側は「小川宏-」終了に伴い、報道色を強めたい意向とみられた。

 80年代、90年代はワイドショー全盛期。オウム真理教などの社会ネタから芸能人のスキャンダルまで、“ワイドショー戦争”が繰り広げられた。

 穏やかな人柄、巧みな話術で人々を魅了した小川さんを見送ろうと、最終回の前日には、長嶋茂雄さん、石原裕次郎さん、高峰三枝子さんが登場。最終回は王貞治さん、森繁久彌さん、森光子さんら113人のゲストが出演した。最終回のゲストはみな友情出演で、支払われたのは2~3万円の「お車代」だけだったといわれる。

 長寿番組を終えた小川さんには4社からCMのオファーが届き、契約金は当時の金額で1億円(推定)とされたが、番組の提供スポンサーへの義理を感じていた小川さんは、全て断ったというエピソードもある。

 NHK時代からの知り合いである黒柳徹子は小川さんの司会ぶりについて「さらさら流れるから『春の小川』じゃないの」とキャッチフレーズを“命名”。その後、小川さんの代名詞ともなった。

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