島倉千代子さん逝く 75歳、肝臓がん

 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」など多くのヒット曲を持つ、昭和を代表する歌手・島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが8日午後0時30分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。75歳。東京都出身。2010年に肝臓がんが見つかり、3度の手術を受けるなど入退院を繰り返していた。葬儀・告別式は14日午後1時から東京都青山葬儀所(東京都港区南青山2の33の20)で。葬儀委員長は原康晴・日本コロムビア社長。島倉さんの遺志で喪主は置かず、通夜は身内だけで済ませる。

 8日夜、都内で会見した所属レコード会社首脳によると、島倉さんは、3年前に肝臓がんを発症し、入退院を繰り返しながら、3度の手術を受けていた。歌い続けることを希望し、手術はのどに影響のない方法を選んだ。

 今年5月に体調不良を訴え、6月に再入院。10月中旬に一時退院し自宅療養をしていたが、今月6日に体調が悪化し入院。8日に容体が急変し、静かに息を引き取った。

 高校在学中に日本コロムビア歌謡コンクールで優勝し、1955年「この世の花」でデビューした。同じコロムビアにいた歌謡界の女王・美空ひばりさんの後を追うように、天才少女からスターへの道を歩み始めた。「東京だョおっ母さん」(57年)をはじめ数々のヒット曲を生み、ひばりさんとともに女性歌手として歌謡界をけん引した。紅白歌合戦にも57年~86年まで30回連続出場するなど04年まで35回出場した。

 そんな活躍とは逆に私生活は波乱の連続だった。人気絶頂の63年にプロ野球・阪神の藤本勝巳選手と結婚も5年後に離婚。75年には知人に実印を貸したことで億単位の借金を抱え、さらに77年にも知人の手形の裏書をしたことで、さらに億単位の負債を抱えた。

 「私に何かがあったら、巡り会った歌が助けてくれるのです。人生の節目に歌があるのです」。2004年の本紙インタビューで発した言葉の象徴は、87年「人生いろいろ」。波乱の人生をつづった楽曲は130万枚の大ヒットとなり、借金も完済に至った。

 苦労を知るだけに、優しい気配りの人だった。仕事先の楽屋、宿泊先のホテルから出発する際、必ず「急ぎの出発で、掃除もできずごめんなさい」とのメモを書き残した。

 93年には乳がんの切除手術も受けた。何度も苦難を乗り越えてきた。今回も大みそか恒例のテレビ東京系「年忘れにっぽんの歌」に出演する意向を関係者に伝えていた。昨年に続き、大トリでの歌唱が予定されていた。

 来年の歌手生活60周年に向け、南こうせつが作曲した「からたちの小径」のレコーディングも、今年10月に自宅に機材を持ち込み済ませていた。それが遺作になった。

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