27歳、友野一希は6位で初五輪絶望的も「幸せな時間だった」4回転乱れ続いた転倒 涙止まらずも「人として成長できる素敵な4分間」「やっぱり若い子たちはすごい」
「フィギュアスケート・全日本選手権」(20日、国立代々木競技場)
男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)4位で悲願の五輪出場を狙ったベテラン友野一希(27)=第一住建グループ=はジャンプが乱れて得点を伸ばせず、フリー141・69点、合計229・74点で6位に終わり、代表入りは絶望的となった。26年ミラノ・コルティナ五輪代表発表は全競技が終了した21日に行われる。
冒頭の4回転トーループで転倒。続く4回転トーループも着氷が乱れ、コンビネーションにできず、4回転サルコーも両足着氷となった。後半もトリプルアクセルからの3連続ジャンプで転倒。その後のジャンプは決めたが、苦しい演技となった。演技後は天を見上げ、悔しげな表情を浮かべた。キスアンドクライでは涙が止まらず。それでも「すっきりした」と呟いた。
演技後は「今までで一番の応援をもらった。今季は泣いてばっかりだけど、今日はポジティブな涙。幸せな時間だった。人として成長できる素敵な4分間だった。やっぱり若い子たちはすごい」と晴れ晴れとした表情で語り、今季について「一生忘れることはない」とうなずいた。今後については「分からないけど、自分はやりたい。友野一希というスケーターを磨いていきたい。五輪にはいけなかったけど、スケーターの楽しさを広げていけるスケーターになれたら」と見据えた。
今季のグランプリ(GP)シリーズ第5戦スケートアメリカでは、SP首位発進もフリーで2度転倒して3位。GPシリーズ総合7位となり、上位なら五輪代表争いで優位に立てるGPファイナルに進めなかった。
「初めてぐらい気持ちが…」と帰国後はかなり落ち込んだが、平池大人コーチからは「悔しないんか。気持ちが弱いからや」と猛ゲキが飛んだ。技術的な話をしたかった友野は「気持ちで片付けられてイラっとした」と、1時間弱の言い合いに発展。ただ終わってみると、不思議と気持ちがスッキリしていた。
「自分に向いていた負の感情が、先生に向いた途端に練習できるようになった。先生が怒りの的になってくれて。苦しい時は出した方がいいなと気づけた」。飾らずに恩師と気持ちをぶつけてはき出すことで、全日本選手権へ気持ちを切り替えることができた。
19日のSPではスピンで痛恨の転倒があったが、4位に滑り込んで五輪代表争いの戦線に残った。この日に向けては「先生方、会場に恩返しを演技で返せたらと思うし、何よりそれが一番自分に返ってくると思う。どんな形でも、とにかく笑顔で自分らしく。どんな結果でも幸せに終われると思う」と話していたが、悔しいフリーとなった。
◆友野一希(ともの・かずき)1998年5月15日、大阪府出身。4歳から競技を開始し、シニアデビューとなった17~18年シーズンでは全日本選手権4位に入った。21~22年シーズンは四大陸選手権2位。世界選手権は3度出場し、18年大会で5位、22年大会と23年大会はともに6位だった。同志社大卒。第一住建グループ所属。趣味はサウナ、読書。160センチ。





