田中希実は12位 2大会連続入賞はならずも表情晴れやか「反省の余地がないぐらい完敗」「等身大の実力出せてスッキリ」残り1周まで入賞圏内 粘りの走りも届かず【世界陸上】
「陸上・世界選手権・女子5000メートル決勝」(20日、国立競技場)
4大会連続決勝進出となった日本記録保持者の田中希実(25)=ニューバランス=は15分7秒34で12位となり、前回ブタペスト大会に続く2大会連続入賞はならなかった。8位とは6秒09差だった。
スタートから超スローペースとなった中、3番手の外めを追走。ジワジワと後方となり、2000メートルは後ろから2番手で通過した。残り3周を前に、外から徐々に進出を開始。残り2周で4番手まで浮上。ラスト1周で7番手となり、入賞争いに。粘りの走りをみせたが、惜しくも入賞には届かなかった。
レース後は満員の観客からの声援を背に走ったことに「2度とないと思うぐらいの、一生に一度の経験ができたと思います。すごく幸せな時間を過ごせた。本当にありがとうございます」と感謝を口にした。その上で晴れやかに「反省の余地がないくらい完敗。こうすれば良かったというのがないくらい力負けした」と受け止め、28年ロサンゼルス五輪に向けて「結果にとらわれることを手放せたと思う。6万人に私は強いけど弱いよというところを見せられた。等身大の実力を出せた。表裏一体の部分を全部見せられてスッキリしている」と、うなずいた。
予選では同組だった山本有真の作ったペースにのって快走。1500メートルの予選落ちから復活の兆しをみせた。決勝に向けて「パリ五輪で悔しすぎて、栄光、輝きを身にまといたい、自分も輝きたいと思っていたけど、今は光に負けてしまう部分で、絶望のどん底まで落ちてしまう。闇に怯えて闇に落ちてしまう。光も闇もこりごり。今は言葉で表現できるものではなくて、自分の透明な気持ちを走りから放てるようなことがしたい」と独特の表現で見据えていた。
◇田中希実(たなか・のぞみ)1999年9月4日、兵庫県小野市出身。西脇工高から同大に進学した。18年世界ジュニア選手権3000メートルで金メダル。21年東京五輪1500メートルでは、日本人初の決勝進出を果たして8位入賞した。24年パリ五輪は1500メートルと5000メートルに出場。1000~5000メートルなど複数の日本記録を保持する。153センチ。父はコーチも務める健智さん、母は1997、2003年の北海道マラソンを制した千洋さん。





