スリランカで野球指導を続ける日本人

 9月に宮崎で開催されたU18アジア野球選手権。日本は吉田輝星投手(金足農)や大阪桐蔭勢らの登場で、3位に終わったものの例年に勝るとも劣らぬ注目のされ方だった。今大会、韓国、台湾などお馴染みの強豪隣国に混じってスリランカが参加していた。地域的には西アジアに属し、人口2000万人のところ競技者数はわずか2000人程度といわれる。そんな野球発展途上国チームの代表選手たちを、日本から遠く6700キロ離れた彼の地で、誰より楽しみに、そして心配していたのが八木一弥さん(24)だった。

 「日本とはレベルの差も大きいですし、勝敗は度外視してなんとか1点、取って欲しい。あとは9回まで試合をすることを目標に頑張って欲しいと願っていたんですけれどね」

 だが9月4日の日本戦は0-15の6回コールド負け。八木さんの願いも叶わなかった。それでも翌5日に香港を17-1、7日にはインドネシアを15-14と乱打戦を制して、全体では7チーム中5位という健闘ぶりを見せた。日本の大会関係者からも「技術的には未熟な点も多々あるが、潜在能力はどの選手を見ても非凡なものを感じる。将来が楽しみな国だ」という趣旨の印象が述べられた。

 八木さんは、そんな選手たちの指導のため、スリランカに住んでちょうど2年になる。

  ◇  ◇

 海外の野球指導に携わりたい。大分大学で教職課程を習得する傍ら、そんな希望を持った八木さんは、新卒で青年海外協力隊(JICA)の門を叩き、2016年秋にスリランカへ赴任した。現地では少年野球クラスから、トップチームまで指導に携わった。17年、台湾で開催された「アジア野球選手権」では代表チームのコーチも務めた。

 「最初は“集合時間をしっかり守ろう”とか“スパイクを脱ぐときはちゃんと紐をほどいてから。履くときはまたきちんと結ぼう”という次元からの指導でした」

 スリランカの首都はコロンボ。八木さんはそのコロンボから100キロ奥に入ったキャンディー県という、スリランカのちょうど真ん中に位置する小都市を任地として、学校やクラブチームを回って指導をした。

 「スリランカは小学校、中学校という概念がなく、いわば一貫教育なんです。スポーツも、だからアンダー13とか、年齢で区切る。ただ野球は選手も少ないので、アンダー18に16歳の子たちが混じって練習したりもするんです」

 平日は学生を、土日はクラブチームや声がかかれば軍隊チームの指導にも走った。1週間で休みなし、ということも珍しくなかった。離れているところだと移動だけで片道3時間ということも。

 「移動はバスがほとんどでしたが、そのバスも時間通りに来るかどうか(苦笑)」

 日本では知られていないことだが、スリランカは教育熱心で学歴社会のお国柄なのだとか。

 「だからまず、親の理解を得るのが大変なんです。塾に行くから練習は休む、なんて子はいくらでも」

 畑にたとえるのは不謹慎かもしれないが、まず土を耕し種をまき、と思っても、その土壌自体がしっかりしていない。途上国にはありがちなことだが、24歳と若い八木さん。苦労は想像に難くない。集まったとしても、日本的なある意味単調な練習ではすぐ飽きてしまう。いや日本でも(日本だから?)練習には我慢がつきもの。

 そこで八木さんは赴任して早い時期、一考を案じた。

 「あるひとつのチームを任されたとき、ごく基礎的な動きだけ教えて、あときひたすら試合をさせたんです。4カ月、とにかく試合だけ」

 するとどうだ。子供たちから「練習したい」という声が出始めたのだという。

 「作戦成功でした。ろくに基本が出来ていないまま試合やっても、最初の頃はバットに当たることやうまくキャッチ出来るだけで楽しさを覚えた子供たちが、だんだんそれだけでは面白くなくなってくる。次はアウトをどうやったら取れるのか。捕球の仕方、送球の正確さ。要は足りないことを自覚させ、自分たちから自主的に練習したいという気持ちを起こさせたかったんです」

 たしかに、教える側がどれだけ手取り足取りで指導しても、野球の基本的な動作は決して簡単ではない。ましてや素地のない国では、押しつけても身には付かない。その点、スリランカで最もポピュラーなスポーツはクリケット。動きこそ違うが、投げる、打つ、走るといった基本動作には共通したものがある。だから能動的になれば、のみ込みも早い。

 「忘れちゃうのも早いんですけどね(笑)」

  ◇  ◇

 また選手たちには今年7月の来日も、得がたい収穫となった。U18の1カ月前、神奈川県高等学校野球連盟の主催、招待により、同県の選抜チームとの親善試合や合同練習で日本の高校生とグランドで接する機会を持った。

 「あの神奈川遠征は、選手たちにとってものすごい刺激になったと思います。やはり僕が言葉で何か言うより、自分の目で見て感じることの方が、よっぽど参考になるはずですから」

 例えばバットスイング。スリランカの選手たちは、それぞれのチームで「まずゴロを打つようなダウンスイングが基本」というような指導を受け、それが子供の頃から染み込んでいたという。間違いではないが、八木さんは「ダウンスイングにこだわって小さくなるより、まず大きく強くスイングすることが大事」だと考えた。しかし素直にすぐ受け入れない選手もいたという。

 「ところが神奈川県選抜の選手のスイングを見て“あっ、日本の高校生でもこんなに強いスイングを心がけているんだ”という発見をしたようなんです。そしたらもうその日のうちからスイングが変わった子たちもいて(笑)」

 守備でも、日本の高校生のノックのレベルに目を奪われた。正確な捕球。すばやくムダのないステップからの送球。日本の高校生なら当たり前のプレーでも、スリランカの選手たちには新鮮であり、刺激的だった。

 「カルチャーショックといっても良いくらいでした。スリランカ国内でしか試合経験の乏しい選手にとっては“井の中の蛙”が大海を知ったという感じでしょうか」

 U18はスリランカ側の事情により、八木さんは代表監督として“凱旋帰国”とはならないかった。しかしこの神奈川遠征で来日した選手が主体となったチームだっただけに、彼らがどれだけ列強国を相手に、自分たちの力を発揮してくれるか、あるいは出来ないか、八木さんは関心を募らせた。

 「結果的には残念でしたが、でもチーム結成から合宿などを経た3カ月の中で、選手たちは多くの経験をして、チームのまとまりも生まれてきた。結びつきのようなものが感じられたことがうれしいです」

 そしてこう続けた。

 「勝ち負けも大事ですが、彼らが心の底から野球を楽しみ、その上でプレー出来たこと。たくさん勉強してきたことが本番で発揮できる心の強さは想像以上でした。これから彼らはスリランカの野球を背負っていく世代です。そんな彼らが多くの人に支えられ、野球って楽しいんだということを身をもって感じてくれたことで、きっとスリランカ野球をさらに発展させてくれるだろうと実感しました」

 JICAの任期は2年間。八木さんは10月5日に帰国する。この2年間でスリランカの野球少年たちに、どんな置き土産が出来たのか。八木さん自身の学んだもの、得たものとはどんなことだったのか。機会があれは、ゆっくりと聞いてみたいと思っている。(スポーツライター・木村公一)

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