【選手権100回大会企画12】千葉の高校野球
野球王国・千葉は、習志野、銚子商によって築き上げられた。1965年の第47回大会で、銚子商が準優勝したことをきっかけに、2校は11年間で相次いで全国に名をとどろかせた。
1967年の第49回大会は、習志野が県勢初の全国制覇を果たした。準決勝では、前年に春夏連覇を果たした中京(現中京大中京)を撃破。決勝でも強豪・広陵を下し、当時は無名だった市立校が2度目の出場で頂点に立った。
一方、銚子商は1973年の第55回大会2
回戦で、江川卓(元巨人)を擁する作新学園と対戦した。エース・土屋正勝(元中日など)は、江川の9三振を上回る12三振を奪う好投を展開。雨中の延長十二回に押し出しサヨナラで怪物を破り、8強へ進んだ。
すると、翌1974年の第56回大会では、土屋の奮闘と、2年生4番・篠塚利夫(元巨人)が中心となった“黒潮打線”と称された強打で初の全国制覇を成し遂げた。
習志野も負けていない。翌1975年の第57回大会。初優勝時のエースだった石井好博監督の下、エース・小川淳司(元ヤクルトなど)が、打っては大会打率・500、投げては5試合連続完投(3完封)の奮闘を見せ、2度目の全国制覇を果たした。
1990年代に入ると、勢力図が変わり、私学が優勢となる。1992年の第74回大会は拓大紅陵が準優勝。準々決勝・池田戦では、立川隆史(元ロッテ)が0-1の9回に逆転2ランを放つなど劇的な試合を見せた。
翌1993年の第75回大会は、市船橋が4強へ進出。2000年の第82回大会で準優勝した東海大浦安は、急造投手の背番号4・浜名翔内野手が奮闘した。
2004年の第86回大会では、千葉経大付が3回戦でダルビッシュ(カブス)を擁する東北と対戦。9回に同点に追い付き、延長十回の激闘を制して4強へ進んだ。2010年の第92回は古豪・成田も4強へ進出。近年は新旧入り乱れた激戦地となっている。
また、佐倉はプロ野球界の大スター、長嶋茂雄(元巨人)を輩出したことで知られる。
◆千葉県勢の夏の甲子園アラカルト
【出場回数ベスト5】
1位・銚子商12回
2位・習志野8回
3位・成田7回
3位・千葉商7回
5位・木更津総合6回
5位・県千葉6回
【勝利数ベスト5】
1位・銚子商25勝
2位・習志野19勝
3位・成田10勝
4位・市船橋7勝
5位・木更津総合6回
5位・拓大紅陵6勝
【最高成績】優勝・習志野(2回=1967、1975年)、銚子商(1974)
【通算成績】
出場76回
167試合
94勝73敗
勝率・563
【主な監督】
石井好博…元習志野監督。1697年夏にエースとして全国制覇を果たし、1975年夏は監督として全国制覇。優勝投手が母校でも優勝監督となるのは史上初だった。春夏通算10回出場して10勝5敗。
斉藤一之…銚子商の元監督。就任4年目の1965年夏に準優勝へ導き、部長を経て再び監督として迎えた1974年夏は同校を初の全国制覇へ導いた。春夏通算11回出場して、23勝10敗。
小枝守…母校・日大三の監督を経て、1982年から拓大紅陵の監督。拓大紅陵では春夏通算9回の甲子園へ導き、1992年の第74回大会で準優勝。通算10勝9敗。2014年に退任し、2016年から2年間、高校日本代表監督を務めた。
◆デイリー独断!千葉県の高校を卒業した選手のベストナイン
【先発】東京学館浦安・石井一久(元西武)
【中継ぎ】成東・鈴木孝政(元中日)
【抑え】横芝敬愛・大晶文(元中日)
【捕手】東京学館・相川亮二(元巨人)
【一塁手】暁星国際・小笠原道大(元中日)
【二塁手】銚子商・篠塚利夫(元巨人)
【三塁手】佐倉・長嶋茂雄(元巨人)
【遊撃手】我孫子・和田豊(元阪神)
【外野手】習志野・谷沢健一(元中日)、拓大紅陵・飯田哲也(元楽天)、千葉経大付・丸佳浩(広島)
【指名打者】習志野・掛布雅之(元阪神)
(ポジションはプロでの登録守備位置、所属は現役の最終所属)