広島 池谷公二郎さんが多発性骨髄腫で死去 74歳 カープ初優勝の立役者 翌1976年には20勝で沢村賞獲得

 元広島の投手で、広島、巨人で指導者としても活躍した野球解説者の池谷公二郎さんが多発性骨髄腫のため29日に亡くなった。74歳。静岡県出身。池谷さんはプロ2年目の1975年に18勝を挙げ、球団史上初のリーグ制覇に貢献。76年には20勝を挙げ最多勝、沢村賞を獲得した。通算103勝を挙げ、現役引退後は指導者として広島の91年リーグ優勝にも携わった。

 赤ヘル初優勝の立役者の一人、池谷さんが逝った。マウンドで見せた闘争心あふれる投球そのままに、がんとも全力で闘った。2025年11月にはOBオールスター戦に出場するまで回復したが、病魔は再び忍び寄っていた。

 72年度ドラフト1位で広島から指名を受けたが、翌年も社会人野球の日本楽器に残り、都市対抗に出場。同年のドラフト前に広島と契約し、1年目の74年は2勝を挙げた。プロ2年目の75年に大きく飛躍。エース外木場義郎の20勝に次ぐ18勝で、球団悲願の初優勝を支えた。

 グラブをはめた左手を高々と突き上げる豪快なフォームが代名詞だった。そこから繰り出す剛球を武器に打者を圧倒。76年には20勝を挙げて最多勝、沢村賞などのタイトルを獲得し、名実ともにエースの座に君臨した。

 翌年以降も先発ローテーションの一角を担い、79、80年のリーグ連覇、日本一にも貢献した。82年に右肩を痛めてからは思うように勝ち星を伸ばせず、若手の台頭もあって85年限りで通算103勝で現役を引退した。

 引退後は野球解説者として活躍。88年秋、山本浩二監督の就任に伴い、投手コーチとして古巣に復帰した。現役時代の後輩にあたる北別府学、大野豊らにとって兄貴分のような存在となり、強力投手陣をまとめ上げた。

 91年4月には、不振に苦しんでいた津田恒実から2軍降格を直接申し出られた。不振の原因が、後に脳腫瘍だったことが判明。同年は安仁屋宗八コーチとともに、津田を欠いた投手陣を支え、リーグ優勝へと導いた。

 山本政権が終わった92年限りで退団。98年からは、その指導力を買われて巨人でもコーチを務めた。ユニホームを脱いでからは広島テレビの野球解説者として活動する一方、情報番組のMCも務めるなど、幅広い分野で活躍した。

 そんな池谷さんを、度重なる病魔が襲った。肺がんを患い、その後も多発性骨髄腫、新型コロナウイルス感染、膵臓がんと、次々に襲いかかる病気と闘い続けた。

 25年2月には手術を受けた。それでも同年11月のOBオールスター戦出場を目標に、懸命なリハビリに励んだ。その努力が実り、再びグラウンドに立つことができた。しかし、26年に入って体調が再び悪化。テレビ番組への出演もなくなっていた。

 赤ヘル初優勝の立役者として、エースとして、そして指導者としてカープを支え続けた池谷さん。最期まで愛するカープの躍進を願っていたに違いない。

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