北別府さん 65歳での早すぎる旅立ちを惜しむ声 岸田首相「身近に感じたヒーローだった」

 広島のエースとして活躍した北別府学氏=デイリースポーツウェブ評論家=が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳の若さで天国へと旅立ったレジェンド右腕。多くの球界関係者が早すぎる別れを惜しんだ。

  ◇  ◇

 阪神・岡田監督「俺と同級生やろ。俺が(プロに)入った頃にはもうエースやったからなあ。コントロールが良かったよ。全部、コース、コースに来てな」

 広島・栗林「僕の仮契約か何かの時に北別府さんの成績がテレビで出てました。やっぱりもう抜かせない記録だと思います。あれだけの成績残されているのはやっぱりすごい。自分も息の長い選手というよりかは、記憶にも残る選手になりたいなと思いました」

 ソフトバンク・王貞治会長(現役終盤の5シーズンで対戦)「何度も苦しめられた。とても打ちにくい。制球が素晴らしく、スライダーやカーブ、シュートも良かった」

 巨人・原監督「まさに針の穴に糸を通すような非常にコントロールの良い投手で、ライバルとして戦ってきた中でも大変、印象深い選手の一人でした。同世代の先輩の訃報を聞き残念でなりません」

 広島・松田オーナー「黄金期にエースとして活躍してくれた投手。精神的な面でも投球術でもエース。素晴らしい投手だった。(北別府氏の背番号20は)重みもあるし、思いも継いでほしいと思って、ふさわしい選手にずっと渡してきている。抑え投手が付けることもあるが、中心になる選手(の番号)として位置付けている」

 大下剛史氏(元広島など。広島ヘッドコーチなど歴任)「若いころから信念を持ってわが道を行くタイプだった。まさに孤高のエース。カープの黄金期は北別府とともにあった」

 山本浩二氏(元広島監督)「粘り強い投球で、彼が登板するときはよく打った印象がある。終盤まで最少失点で抑えるので打線が応えることが多かった。最後は3~4年前に、お互い元気になってグラウンドで会おうとやりとりした。センターから見ても精密機械のようなコントロールで、捕手のミットが動かなかった。打者の懐にも投げて勇気のある投手だった」

 水谷実雄氏(元広島など。ともに宮崎の高校出身)「ペイ(北別府氏)の入団時の印象は、とにかく真面目、というもんやったなあ。フォームの柔らかさに、その真面目一筋の頑張りもあって、あれほどのピッチャーになったんやろう。僕が(同郷で)目をかけるとか、こっちから何かをアドバイスするような必要は何にもなかった。宮崎を代表する選手ですよ。寂しいですね」

 福永富雄氏(チーフトレーナーとして長年、北別府氏のコンディショニングに携わる)「あまりに突然のことで…。ショックとしか言いようがないですね。私自身、トレーナーとして脂の乗りきった時期に大投手に携わることができたのは誇りです。身近な選手としてオフも付き合うことがあったけど、野球選手にありがちな失敗やバカ話がない。大変クレバーな人でした。本当に残念です」

 大野豊氏(元広島投手)「残念だし、さみしい。何とも言いようがない気持ちでいっぱい。年上なんだけど、彼から学ぶこともあった。彼の雄姿はいつまでも忘れることはないし、心の中でずっと居続けてくれると思う」

 小早川毅彦氏(元広島など)「大変なご病気だけど北別府さんの強い精神力だったら必ず復帰される、と信じて疑わなかった。それだけに、もうお会いできないと思うとショックで悲しい」

 佐々岡真司氏(前広島監督)「1年目の90年、リリーフに転向し、最初の試合(5月9日・ヤクルト戦)で北別府さんの後を任された。すごく緊張したことを覚えている。その試合で初セーブを挙げて、『ありがとう』と声を掛けられ、とても嬉しかった。また元気な姿でお会いできると思っていたので残念でならない」

 オリックス・水本ヘッドコーチ(広島時代のチームメート)「(涙を流しながら)すごくお世話になったので、悲しすぎる。去年、電話がかかってきて『頑張れよ』と。プロとしての厳しさを教えてもらったし、言葉が頭に残っている」

 岸田文雄首相(広島が地元でカープファン)「同じ年の同じ月生まれだったと記憶している。大変思い出深い、身近に感じたヒーローだった」

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