語録でたどる長嶋茂雄さん「わが巨人軍は永久に不滅です」「野球とは人生そのものという一言に尽きる」

 国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。

  ◇  ◇

 ▽1957年11月3日(当時の東京六大学新記録となる通算8号本塁打を放ち)「これまでの人生のうち、最もうれしかったホームラン」

 ▽57年12月7日(巨人と正式契約)「巨人と契約して、うれしさでいっぱいです」

 ▽58年4月5日(開幕戦で金田正一から4打席4三振)「いい薬になりました。今度対戦するときは必ず打って、お返しをしてみせます」

 ▽58年10月2日(リーグ優勝が決まり)「無我夢中の一年だった。金田さんに開幕のとき、キューキュー言わされたのが一番苦い思い出。やはり優勝はいい」

 ▽64年11月26日(西村亜希子さんとの婚約会見で)「僕は子どもさん(さんをつけて爆笑を誘い)は大好きだから4人くらい」

 ▽65年5月31日(当時史上最速の通算200本塁打)「うまい具合にバットが出た。それにしてもいい当たりだった」

 ▽66年1月26日(長男一茂さん誕生)「母子ともに元気であってくれればいいと思っていた。野球でのどんな喜びよりも大きい」

 ▽71年5月25日(史上5人目の通算2000安打)「初安打と今日のヒットは生涯思い出に残るでしょう」

 ▽72年6月22日(史上3人目の通算400本塁打)「500号が2人いるから、それほどの喜びはないね」

 ▽73年10月11日(右手薬指を骨折し)「大事なときに試合に出られなくなったのは申し訳ないし、残念で仕方ない」

 ▽74年10月14日(引退セレモニーのあいさつで)「私は今日、引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」

 ▽75年10月17日(監督1年目を巨人史上初の最下位で終え)「チームとして総力を結集できずに終わり、全く不本意な成績。ファンの皆さまにはなんとおわびをしていいのか、言葉もない」

 ▽76年10月16日(前年の最下位から一転、監督就任2年目で優勝)「自分を捨ててチャレンジャー精神でやってくれたコーチ、選手のおかげ」

 ▽80年10月21日(事実上の監督解任に)「成績が不本意であったということで男としてけじめをつけ、責任を取りたいということです」

 ▽92年10月12日(2度目の監督就任発表)「12年前に辞めたときに、こういうセレモニーがあるとは夢にも思っていなかった」

 ▽92年11月21日(ドラフト会議の抽選で松井秀喜選手の当たりくじを引き当て)「一にも二にも、終始一貫して松井君でいくと(決めていた)。10年に一人の素材。ファン待望のスケールの大きい、格のある打者に育ててみたい。魅力が無限に広がる」

 ▽94年10月7日(同率首位で並ぶ中日との最終決戦を翌日に控え)「国民的行事だね。ファンの皆さんは最後までたっぷりと醍醐味(だいごみ)を堪能してください」

 ▽96年10月6日(11・5ゲーム差をはね返して優勝し「メークドラマ」実現)「諦めてはいけないということをこの年齢になってあらためて教えられた」

 ▽96年11月20日(清原のFA交渉に出馬して)「思い切って僕の胸の中に飛び込んできてほしい」

 ▽98年9月12日(留任記者会見)「オーナーに退任願を提出しましたが、もう1期頑張ってもらいたいと言われ、感動した。来年は集大成のつもりでやりたい」

 ▽99年3月8日(ヤンキースのスター選手だったジョー・ディマジオさんの訃報に)「エレガントさに憧れてプロ野球選手になろうと思いました。あのバッティング、守備、走塁。すべてまねしたものです」

 ▽99年12月6日(FAで江藤の入団が決まり、自らの背番号について)「(譲る)気持ちは今でも変わりません。広島時代の33をつけていただいて、私は(永久)欠番の3番をつけてみたいと思う」

 ▽99年12月11日(工藤とのFA交渉で)「巨人に来て男の花道を飾ってほしい」

 ▽2000年2月12日(キャンプインから12日目にようやく26年ぶりに背番号3を披露)「3番がこれほど話題になると思わなかった。序盤から脱いでやるつもりだったけど脱ぎづらくなってしまって…」

 ▽00年10月20日(王監督率いるダイエーとの日本シリーズ開幕前日に)「来たな、という感じですか。今世紀最後だからね。気持ちは高揚してますよ」

 ▽01年9月28日(監督退任記者会見で)「野球とは人生そのものという一言に尽きる」

 ▽02年12月20日(松井のヤンキース入り決定に)「お金よりも好きなチームを選択したのだから、良かったんじゃないか。個人的にはヤンキースに入ってほしいという気持ちを持っていた。ギャラは安いかな」

 ▽03年4月1日(松井がデビュー戦で初安打)「開幕戦でヤンキースのクリーンアップの大役。初打席でしかもタイムリー。安堵(あんど)したし、安心しました」

 ▽03年11月7日(監督として日本代表を率いて翌年のアテネ五輪出場を決め)「3連勝でアテネの出場権を手中に収めたかったので、実践できて喜んでいる。待ったなしの一本勝負の中で理想に近い展開ができた」

 ▽13年5月5日(国民栄誉賞授与式後の始球式で背番号3のユニホームを着て打席に入り)「打ってやるぞという気持ちはあったけど、球が顔のあたりにきた。いい球だったら打っていた」

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