ミスターに一目でも会いたくて記者に また生まれ変わったら、長嶋番にしてください【長嶋茂雄さん歴代担当記者悼む】
国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次女三奈さん。後日、お別れの会を開く。戦後日本、高度経済成長期の象徴的存在だった。娯楽のまだ少なかった時代、巨人の「4番・サード」として、光り輝いていた。勝負強い打撃、華麗な守備、走る姿もまた、格好良かった。もらった感動、元気、勇気、笑顔は数え切れない。
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監督、ミスター、親父…。気が動転してなんと呼べばいいのか、分かりません。正直言って、人類が滅亡しても、ミスターだけは生き残る、と信じていました。
濃密な担当記者時代でしたよ。巨人キャップになって、半年以上は名前を呼んでもらえませんでした。遠征先の朝の散歩、移動の出待ち、東京ドームの出入りに密着する毎日で、近所の銭湯のご主人に「お客さんって、いつも長嶋さんの隣でテレビに映ってますけど、ガードマンの人ですよね」と声をかけられたほどでした。
だから、最初に「今野さん」って呼ばれた時は、本当にうれしくて、実家に電話したぐらいなんですよ。当時の監督付広報の小俣さんから、後日「監督は君の仕事ぶりをチェックしてたんだよ。それを認めたから名前で呼ぶようになったんじゃないかな」と言われ、一人で祝杯をあげたんです。
宮崎キャンプの休日に市内の銀行に行った際に、ミスターが車から見てたことがありました。次の日、「なんで、銀行にいたの?お金ないの?貸そうか?」って、言われて。「普通の人は、銀行の口座にお金はあるんですよ」と返答したら「そうなんだ」って笑ってましたよね。この人、ATMも知らないんだって思いましたよ。
思い出は尽きません。多分、一晩中話していられます。今だから言います。ミスターに一目でも会いたくて、スポーツ新聞の記者になろうと思ったんですから。また、生まれ変わったら、長嶋番にしてください。今は安らかに眠ってください。合掌。(デイリースポーツ・1994、95年巨人担当キャップ・今野良彦)





