耐久 初甲子園 今夏和歌山大会初戦敗退から近畿4強 井原監督「夢のよう」創部119年目、部員19人
「秋季高校野球近畿大会・準々決勝、耐久4-1須磨翔風」(29日、大阪シティ信用金庫スタジアム)
準々決勝3試合が行われ、4強が出そろった。耐久は須磨翔風を撃破。和歌山の県立校が1905年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場を確実にした。エース・冷水(しみず)孝輔投手(2年)が28日の1回戦・社戦に続いて完投。京都国際、京都外大西も準決勝に進出し、それぞれ来春センバツ出場が当確となった。
創部119年目の野球部に、新たな歴史が刻まれようとしている。春夏通じて初の聖地への切符を手中にし、井原正善監督(39)は「夢のようです」と喜びの表情を浮かべた。
先発のエース・冷水が1失点で完投。28日に162球を投じていたが「いつも通り投げるだけ」と腕を振った。最後の打者を併殺打にとると大きくガッツポーズ。「ほっとして出てしまいました」と大黒柱は笑った。
耐久は江戸時代の1852年(嘉永5年)の創立。野球部は1905年(明治38年)に創部された。近年は2003年、20年に21世紀枠の和歌山県代表に選出されるも甲子園出場経験はなし。冷水は「初めての場所なのでとにかく楽しみ」と甲子園でのプレーを待ちきれない様子だった。
他の部活との兼ね合いもあり、放課後に野球部が使えるグラウンドの範囲はダイヤモンドを少し超える程度。それでもグラウンドを自由に使える朝に集合し、打撃練習を行うなど部員19人で工夫を凝らしてきた。
今夏は和歌山大会初戦敗退。今秋は県4強が目標だったチームが近畿4強にまで進出した。指揮官は「成長を感じます」と笑顔。「とにかく目の前の一戦です。先を見ずにやっていこう」と躍進に浮かれることなく戦い抜く。
◆耐久 1852年(嘉永5年)に幕末の国際情勢に備える人材養成のための稽古場として開かれ、耐久社、耐久学舎、耐久中学校と改称。1948年(昭和23年)に有田高等女学校と合併し、現在の校名となり共学に。普通科のみの県立高校で全日制と定時制がある。所在地は和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985。



