仙台育英が東北勢初V 白河の関越えた 須江監督「扉が開いた」107年で新時代幕開け
「全国高校野球選手権・決勝、仙台育英8-1下関国際」(22日、甲子園球場)
決勝が行われ、仙台育英が初優勝した。1915年に第1回大会が開催されてから107年。東北勢としても春夏通じて初の甲子園優勝となり、深紅の大優勝旗の「白河の関越え」を果たした。先発・斎藤蓉投手(3年)が7回1失点、2番手・高橋煌稀投手(2年)が2回無失点と、“140キロクインテット”の2人が躍動。史上初となる全試合継投で頂点に立った。
新たな歴史の幕開けだ。過去12回、東北勢が破れなかった“壁”を仙台育英が破った。東北6県の悲願を達成。試合終了と同時に須江航監督(39)は空を見上げて目頭を手で押さえる。優勝インタビューでも声が震えた。
「宮城の皆さん、東北の皆さん、おめでとうございます」-。1915年の第1回大会決勝で秋田中(現秋田)が敗れてから107年。歴史的瞬間を見るべく駆けつけた3万1200人の前で、ついに深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えた。
最後までぶれることなく継投策を貫いた。「うしろに4人良い投手がいるので、とにかく腕を強く振るだけでした」と先発した斎藤蓉が7回3安打1失点。六回に一ゴロの間に1点を失ったが、後続を抑え最少失点で切り抜けた。すると七回には打線が岩崎の満塁弾を含む5得点で8-1に。一気に仙台育英ペースに持ち込んだ。
八回から登板した2年生・高橋も2回2安打無失点と好投。九回2死一、三塁では時折笑顔を見せながら冷静に投げ込み、最後は三ゴロで締めた。指揮官も「それぞれができることに注力してくれて、背伸びすることなく持てるものを出してくれた。継投どうこうと言うより、彼らが全部やってくれた」と胸を張る自慢の投手陣が勝利を引き寄せた。
仙台育英の“代名詞”となった継投策。須江監督は「野球はコンタクトスポーツで慣れが重要。打率は低いものだから慣れる前に(投手を)代えていくのは大事だけど、代えることはリスクがあるのでそことのバランス。でも私たちは育成と勝利の両方面を獲得したいと思っていて、その中で継投は外せない策」と意図を説明する。
今夏は宮城大会から全10試合を継投で勝ち上がった。甲子園で完投がなく頂点に立つのは史上初。1週間500球の球数制限は、ベンチ入りした5投手全員が決勝前の時点で400球以上を残していた。体力、肩肘の消耗は間違いなく相手投手よりも少なく、どの場面で誰が登板してもきっちりと役割を果たしてきた。継投なくして優勝はなかった。
東北勢の悲願を成し遂げ、「扉が開いたので、いろんな学校がなだれ込んでくる。1回開けば絶対、東北6県の選手や指導者は力があるので『俺たちにだってやれるぞ』と希望になったと思う」と指揮官。甲子園のマウンドで天に突き刺した人さし指は、東北の新時代幕開けの合図にすぎない。
◆白河の関 鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)とともに奥州三古関のひとつに数えられ、国の史跡に指定されている古関。福島県白河市の南部で、栃木県の県境近くに関所跡がある。
◆完投なしの優勝は5年ぶり6チーム目 優勝した仙台育英は全5試合を継投で勝ち抜いた。完投がない優勝は1925年の高松商、97年の智弁和歌山、2004年の駒大苫小牧、07年の佐賀北、17年の花咲徳栄に続く5年ぶり6チーム目。仙台育英は5試合で5投手、のべ16人が登板。起用人数は高塚信幸(元近鉄)ら5投手が登板した97年の智弁和歌山に並ぶ最多。のべ登板人数では引き分け再試合を含めた全7試合で、のべ14人だった07年の佐賀北を上回る最多の優勝校となった。



