東海大相模・門馬監督 低迷期のチーム改革 26年間燃やし続けた甲子園への執念

 今春センバツで最多タイとなる3度目の優勝を果たした東海大相模・門馬敬治監督(51)が1日、相模原市内の同校で今夏限りでの退任を表明した。健康面に不安を抱えているため。後任は「学園に任している」と話すにとどめたが、同校OBで元巨人捕手の原俊介氏(43)=現東海大静岡翔洋監督=が有力視されている。東海大相模野球部OBの佐藤記者の思い出を語った。

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 門馬監督が東海大相模に指導者として戻って来たのは、1995年春。記者が同校野球部に入部、入寮したのと同時期だった。同年の相模はセンバツには出場したが、夏の甲子園からは20年近く遠ざかっており、低迷期と言えた。村中秀人監督(現東海大甲府)のもと、改革に乗り出したのが門馬監督(当時コーチ)だった。

 全体練習後の特守、特打はまさに地獄。当時は一般的に消極的だった肉体改造にも取り組んだ。細身だった記者は就寝前、部屋のトースターにもちを数個入れられ「これを食べてから寝なさい」と言われたこともあった。

 緩みがちだった寮生活も見直され、朝晩の点呼、げた箱の整頓、トイレ掃除の仕方も細かく指導された。赤点のある部員に対し、寮で補習も導入。あまりの厳しさに上級生が反発し、練習をボイコットする事件もあった。

 鬼コーチは卒業すると、「俺もあの頃はおかしかった」と別人のように優しくなった。OB会では涙ながらに夏の甲子園への思いを語り、その苦労や重圧も伺い知れた。

 師である原貢氏から再建を託され、走り続けた26年。門馬監督のチーム改革、甲子園への執念がなければ、今の相模はなかった。(95~97年東海大相模野球部、東京報道部デジタル担当・佐藤 啓)

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