【近藤昭仁さん悼む】日本一への種をまいた、激しさと優しさを併せ持つ人

 横浜(現DeNA)、ロッテで監督を務めた近藤昭仁(こんどう・あきひと)さんが27日午前1時23分、敗血症性ショックのため川崎市内の病院で死去した。80歳。香川県出身。

  ◇   ◇

 激しさと優しさを併せ持つ人だった。記者が初めてプロ野球担当になったのは97年のロッテ。監督は1年目で、あいさつに行くと「おう、よろしく」と笑顔で名刺を受け取ってくれたのを思い出す。

 スポーツ新聞は細かくチェックしていたようで、オープン戦で若手が活躍したことを書いたときに「いい記事だったね。これからも頑張って」と、自信をつけさせてくれるような言葉をかけてもらった。一方で、瞬間湯沸かし器の面もあり、無礼な質問をする記者をどなりつけ、スタンドのヤジに激しく応酬したりもした。

 1年目は最下位、2年目も18連敗を喫するなど連続最下位。担当を離れた2年目、10連敗中の遠征先で久しぶりに取材する機会があった。「策はないよ」と笑っていたが、当時の戦力を考えると、半分本気だったのかもしれない。

 結局、3年契約を待たずに辞任することになった。しかし、積極的に起用した福浦和也、サブローらが、その後に主軸となり、10年には日本一に輝いた。その種をまいて育てたのは、当時2軍監督だった故山本功児さんと近藤監督でした。天国からプロ野球を温かく見守ってください。(97年ロッテ担当・中江 寿)

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