京都成章の元主将・沢井さん「松坂本気にさせた1球かも」 後輩に思い重ねる

アルプス席から母校へ声援を送る京都成章OBの沢井芳信さん(左)と林彰吾さん=甲子園
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 「全国高校野球選手権・2回戦、神村学園3-2京都成章」(12日、甲子園球場)

 19年ぶりの校歌は聞けなかった。京都成章が98年夏の決勝で松坂大輔(現ソフトバンク)を擁する横浜にノーヒットノーランを喫して以来の夏の甲子園で、神村学園にサヨナラ負け。九回に茂木健内野手(3年)のソロで同点に追いついていただけに、悔しい敗戦となった。

 一塁側アルプススタンドには、準優勝メンバーが駆けつけた。当時の主将で遊撃手だった沢井芳信さん(36)は、二塁手だった林彰吾さん(36)らと声援を送った。「甲子園に来てくれてありがとうという気持ちと、やっぱり悔しいという気持ちと両方です」と沢井さんは惜敗したナインに思いを重ねた。

 98年の夏。“松坂劇場”と化した甲子園のクライマックスが決勝戦のノーヒットノーランだった。ドラフト上位候補が大勢いた松坂世代だが、京都成章は堅実なプレーとチームワークの良さで決勝まで勝ち上がってきた伏兵だった。

 忘れられない1球がある。決勝戦。1番打者の沢井さんが初回、松坂から放った打球は三遊間を襲った。打球は三塁手のグラブを一度ははじいたが、結果は三ゴロ。「何か仕掛けてやろうと思ってフルスイングした」。その1球が「松坂を本気にさせた1球だったかもしれない」と沢井さんは振り返る。

 この夏、横浜は準々決勝でPL学園と延長十七回を戦い、準決勝で明徳義塾にサヨナラ勝ちと激闘を続けていた。松坂の疲労も限界に近かったが、先頭打者の自分の打球が平成の怪物の闘志に再び火をつけたのではないかと沢井さんは想像する。松坂が取材に対して「(決勝戦は)打たせてとるつもりだったが、そう甘くはないと思った」という趣旨の話をしているのを見て「いろんな意味がある1球だった」と再確認したという。

 同大、社会人野球のかずさマジック(現・新日鉄住金かずさマジック)を経て、現在はスポーツマネジメント会社、スポーツバックスの代表取締役を務める。米大リーグ・上原浩治など契約選手とともに、スポーツの持つ可能性を追求する日々だ。

 「甲子園で人生が変わった。甲子園に来なかったらスポーツを仕事にすることはなかったでしょう」と沢井さん。敗れた後輩たちにも「甲子園は一瞬。だけど、人生の中で絶対に忘れられないひとときになる。ここで成長してほしい」とエールを送っていた。

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