阪神・原口は「ハスの花のような選手」「ケガでも病気でも野球を諦めなかった人」野球を愛し、野球に愛された16年間
「阪神6-2ヤクルト」(2日、甲子園球場)
今季限りで引退の阪神・原口文仁内野手(33)が代打で登場。七回2死一塁で中飛、八回からは一塁、九回は捕手を務めてレギュラーシーズン最後の出場を終え甲子園の大歓声を浴びた。「太陽のような」笑顔の野球人、大腸がんをも克服して野球ファンに希望を届けた16年間だった。
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久々に1軍昇格した原口と再会できたのは、9月10日・DeNA戦(甲子園)のことだった。試合前に会うなり、右手を差し出し、強く握られた。太陽のような、いつも以上の笑顔が脳裏に残る。
「マサさん、元気?体調は?良かった。気をつけなきゃダメだよ」
心に残った一抹の不安が、いま目の前にある光景の前触れだった。思い返しながら寂しさが募る。大腸がんから奇跡的に1軍復帰した2019年、母・まち子さんに聞いた話が脳裏に浮かんだ。
「病気になった時もね、驚くほど明るい声で電話がきてね。『母ちゃんオレ、がんになっちゃったよ。でも、大丈夫だから。絶対治るから』って。何かあった時はいつも心配させないようにね」
2009年。帝京からドラフト6位で阪神に指名された日、カメラマンと2人で埼玉県寄居町の実家を訪ねた。父、母、祖母に迎えられて帰宅を待った。「父ちゃん、母ちゃん、ばあちゃん、やったよ!」。勢いよく玄関の扉を開いた17歳の少年から、33歳になった今でも印象は変わらない。人柄を表すエピソードは数限りないが、中でも好きな話が2つある。
小学3年の秋。父・秀一さんに連れられ、神宮で巨人戦を観戦した。ネット越しに見た阿部慎之助の姿に夢を見た。初めて買ってもらったのはミット。毎日、抱えて寝床に入った。「フミがまた、ミットをしたまま寝てるよ」-。夜、姉の声が響くたびに家族が笑顔になった。人生の岐路に立った大腸がんを告知された日でさえ、真っ先に担当医には「練習してもいいですか?」と聞いた。
野球ができなくなる…多少あったという怖さは情熱で打ち消した。「僕には野球があった」。好きが戦う理由だった。過去、大腸がんを患った選手の1軍復帰は例がなかった。前例がないなら前例を作ればいい。原口の生き方は、いつだって足し算だった。「母ちゃん、こんなに野球が好きな子に産んでくれて、ありがとう」。2度伝えられた感謝の言葉に、母は涙が止まらなかった。夢の道を家族と歩んできた。
原口ってどんな人と聞かれるたびに、僕は「ハスの花のような選手」と答えてきた。土もない。太陽も当たらない。夏の暑さをしのぎ、何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばした。腰の痛みから育成契約、そして支配下復帰。骨折してもグラウンドに立った。大腸がんをも克服して希望を届けた。堅忍不抜の根の上に何度も美しい花を咲かせた。野球を愛し、野球に愛された16年間は語り継がれる。「原口?ケガでも病気でも、野球を諦めなかった人だね」-と。(デイリースポーツ・田中政行)
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