井川慶氏 2005年日本Sは初の濃霧コールド…4試合で終わったのは自分の責任 当時はパだけプレーオフ、勢いに差が

 球団史上初の日本一に輝いた1985年を含め、阪神は日本シリーズにこれまで6回、出場している。その時の戦いぶりはどんなものだったのか。選手として、コーチとして、関係者として関わったデイリースポーツ評論家が当時を振り返る「リメンバー日本S」。今回は井川慶氏が2005年、ロッテとの日本シリーズを語った。

  ◇  ◇

 2005年の日本シリーズはロッテとの対戦となった。井川氏が任されたのは10月22日の第1戦。この05年は13勝9敗で防御率3・86という成績で、この大舞台に挑んでいた。

 「この年は決して良くなくて、数字だけ見れば、15勝で最多勝だった下柳さんもいた中、初戦を任せてもらいましたが…」

 当時はパ・リーグだけプレーオフを実施。シーズン2位のロッテは、まず3位の西武を2連勝で、1位だったソフトバンクを3勝2敗で下し、リーグ優勝チームとなったのが10月17日だった。阪神は同5日にシーズン最終戦。フェニックス・リーグで調整したものの、ロッテとは勢いに差があった。

 「言い訳にはならないですが、ロッテが勝ち上がってきたのをただ待っている状態でしたね。勢いを警戒した初戦で、悔やまれたのが初回です」

 初回、1死から2番の今江に先制ソロを許してしまう。リズムを取り戻せないまま6回10安打5失点で降板。試合は七回裏の途中、1-10の状況で霧の影響で中断し、そのまま日本シリーズ史上初の濃霧コールドでのゲームセットとなった。

 「霧はありましたけど、そのせいで負けたのではなく、自分の責任でしたね」

 消化不良に終わった敗戦から、チームはそのまま4連敗を喫した。結果的に、今江がシリーズのMVPを獲得する活躍を見せただけに、第1戦で波に乗らせてしまったことが最後まで響いた。

 「1試合目で今江選手など好調の選手をつぶしておけば、シリーズは勝てると考えていたので、4試合で終わったのは自分の責任で、自分のせいで負けたシリーズだったと今でも思っています」

 井川にとって最後となった日本シリーズでの登板は、苦い記憶として残っている。

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