59年前の日本Sは「大阪対神戸」だった 阪神OB若生智男氏が振り返る1964年〝関西シリーズ〟
28日に開幕する日本シリーズは38年ぶりの日本一を目指す阪神と、2年連続日本一を狙うオリックスとの「関西シリーズ」となった。関西球団同士が対決するのは1964年の阪神VS南海以来、59年ぶり。そのシリーズに2試合登板した元阪神投手の若生智男氏(86)=デイリースポーツ評論家=が思い出を振り返った。
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マウンド上にそびえ立つようなスタンカの姿を、今もはっきりと覚えている。長身から繰り出す速球に、阪神打線が苦しめられた。変化球もあったけど、ほとんどが真っすぐ。それでも打てなかった。
私はベンチからじっとその投球を見つめていた。腕の軌道、リリースポイント、これこそ自分がお手本とすべきフォームだと思い、何か得るものがないかと。阪神はそのスタンカに1、6、7戦目で完封負け。まさにスタンカにやられたシリーズだったね。
関西球団同士の対決というより、大阪対神戸の対決という感じがした。大阪球場での試合は、神戸に負けられるかという大阪の人たちの対抗心が伝わってくるような雰囲気だった。グラウンドと観客席が近いから、ヤジもはっきりと聞こえてくる。甲子園もヤジは飛んでいたけど、大阪球場のヤジはもっと心に突き刺さるようなきついものだった。
私は1、6戦目に登板した。1戦目は0-2の九回にリリーフ登板。先発・村山実さんの後というプレッシャーがあったし、そこまで阪神は無得点でベンチが重苦しかっただけに、投げづらかった覚えがある。それでも無失点に抑えて、さあ逆転サヨナラへという雰囲気にもなったけど、やっぱりスタンカは打てなかったね。
6戦目は先発のバッキーが先制を許して、五回から2番手で登板。記録を見ると野村さんを投飛に抑えているんだけど、全く記憶にない。野村さんとは大毎時代に何度も対戦したけど、いつも球種を読まれている感じがしていた。球場で顔を合わせると「ええ球、放っとるなあ」とよく声をかけられた。それだけで術中にはまってしまっていたような気もする。だから日本シリーズでも、かなり警戒しながら全力で投げ込んだんだと思う。
阪神は5戦目で日本一に王手をかけたわけだけど、移動日の翌日が雨天中止。コーチからは「気を抜くな」とか言われたように思う。でも試合が2日間空いたことで、王手をかけた勢いが消えてしまったような感じだった。6、7戦目はスタンカの前に完封負け。目の前に見えていた「初の日本一」を意識し過ぎたのか、打線がつながらなかった。吉田、山内、遠井、藤井、並木…いい打者がそろっていたんだけどね。
日本一を逃した試合後は重苦しかった。みんな何も言えなかった。なぜあと1勝できなかったのか…選手個々が自問自答しながら反省していた。
あのとき以来の関西対決か…。球団は違うけど、やっぱりあの悔しさ、重苦しさを思い出しちゃうね。あのときつかめなかった夢を後輩たちに託しながら、59年ぶりの関西対決を楽しみたい。(元阪神投手、デイリースポーツ評論家)
1963年まで阪神に在籍し、64年から東京(現ロッテ)でプレーした小山正明氏(本紙評論家)はこの年の日本シリーズ全戦でラジオ中継のゲスト解説を務めた。「阪神は全盛を迎えていた王、長嶋を擁する天敵巨人を上回ってリーグ優勝。今ほどではないにしろ当時のファンも熱狂的でシリーズも盛り上がったね」と振り返る。
この年、30勝を挙げた小山氏はシーズンで対戦した南海打線を「広瀬、野村が中心で堀込、小池と脇役もそろっていて強力だった」と評し、「何と言ってもスタンカ。2メートル近い長身だから打席に立つと本当に近くに見える。阪神は打線が少し弱かったから苦戦したね」と述懐した。
◆若生 智男(わこう・ともお)1937年4月5日生まれ、86歳。宮城県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。東北から1956年毎日(現ロッテ)入団。64年阪神に移籍。75年広島移籍後、76年現役引退。通算成績は628試合121勝120敗2セーブ、防御率2.71。広島、ロッテ、阪神、ダイエー(現ソフトバンク)、横浜(現DeNA)でコーチを歴任。現在はデイリースポーツ評論家。
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