佐野仙好氏の85年阪神優勝回想録 「初球、打ってくるわ」で巨人・槙原から予告代打満塁ホームラン

 阪神の外野手として活躍した佐野仙好さん
 現役時代の佐野仙好さん
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 元阪神の外野手として活躍した佐野仙好さん(72)は現役時代、4本の満塁本塁打を記録している。うち1本は優勝した1985年5月20日・巨人戦(後楽園)の代打によるものだ。槙原の高めに浮いたカーブ。それは初球打ちを予告した直後に生まれた“宣言アーチ”だった。

 日本一にもなった85年の阪神は打力に優れ、劣勢の試合展開を終盤にひっくり返す“神がかった”試合が多かった。

 語り草になっているのが4月17日・巨人戦の七回に出たバース、掛布、岡田の甲子園バックスクリーン3連発だ。

 5月22日。同じく甲子園球場で行われた広島戦では0-7からバースの特大満塁本塁打などで八回に逆転。終わってみれば13-8の大勝だった。

 優勝するときは信じがたいことが、ちょくちょく起こるものだ。

 そのバースの満塁弾が飛び出す2日前には後楽園球場で実に“人間臭い”ドラマがあった。

 5月20日の巨人-阪神9回戦。佐野は2試合連続無安打だったこともあり先発メンバーから外れていた。もっとも打線全体に元気がなく、吉田監督は一部オーダーを変更して臨んだ。

 ところが、試合はベンチの思惑とは裏腹に六回までわずか1安打。効果は出なかった。

 一方、巨人は王監督の誕生日を祝うかのように中畑、篠塚がそろってソロを放ち、六回終了時点で5-0とリード。

 その祝砲ムードを吹き飛ばしたのが阪神の七回の攻撃だった。バースの中前打に掛布、岡田が連続四球で続き、あっという間に無死満塁となった。

 打順は北村、投手・中田、木戸へと続く下位打線。ベンチが動く絶好のタイミングだった。だが、切り札となるはずの佐野の登場はなぜか北村、代打・山川が凡退したあとの二死からだった。

 先発から外され半ばやけ気味。試合中にロッカールームで、杉田トレーナーのマッサージを受けていた佐野の心は苛立った。

 「代打 佐野」のコールを受けた時、感情の高ぶりはピーク。「初球を打ってくるわ」とベンチに言い残して打席へ向かったという。

 2試合ヒットがなかっただけでスタメン落ち。もらった出番もようやく二死となってから。自身への信頼の薄さを思うと、悔しくてたまらなかった。

 心の中は激しく燃えていた。だが、以外に頭は冷静だった。「初球打ち」の狙いは、槙原が初球にカーブでカウントを取りに来ることを見抜いていたからだった。

 案の定、そのカーブが来た。高めの完全なボール球だったが、予告通り狙い打った。何の迷いもないスイングから放たれた打球は左翼席へ一直線。千両役者の働きだった。

 その後、槙原をリリーフした定岡から真弓が2ランを放ち逆転。九回には打率・000の川藤がシーズン初安打でダメ押し。“予告打ち”が阪神打線の目を覚まさせた。

 タイガースを離れてそろそろ3年になる佐野さんは、この時の「いきさつ」を詳しくは語らない。「みんなに1球目から打つと言って打席に向かったけど(本塁打は)たまたまですよ」と言うだけだ。

 ただロッカールームの一件には、「昔は我を通す人が多かったからね。今は違うけど」と“意地の一発”だったことを否定しない。

 かつてバックスクリーン3連発後の4連発目が不発だったことが“小さな話題”になることもあった。相手投手が「ヒットを打った記憶がない」という苦手の鹿取に代わり、その打席はショートゴロに倒れている。

 「(本塁打には)挑戦したけどダメでしたね。でも練習の時からバックスクリーンへなんて打ったことないから、打てるわけないですよ」

 4連発は狙ったが、バックスクリーンは狙わなかった。

 後楽園での槙原からの満塁アーチは“打ち直し”と呼ばれたが、本人にそんな意識はまるでなかった。

 仕事人と呼ばれた佐野さんの勝負強さは天下一。初代勝利打点王であり、85年の優勝を決めた神宮での同点犠飛など、いつも“ここぞの場面”で打ってきた。

 「投手との1対1で相手を上回るものをもった方が勝つと思ってやっていた。練習から集中して最大の力を出すことをいつも考えていたし、(試合で)すべてを出し切ってダメなら仕方ないと割り切ってました」

 生涯成績は実働16年で1549試合、1316安打、144本塁打、564打点、打率・273。ファンの記憶に数字以上のインパクトを残している。(デイリースポーツ・宮田匡二)

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