【阪神ドラフト選手特集・鈴木勇斗(1)】最速左腕に魅了されて、目指したプロの道

 10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載をお届けする。2人目はドラフト2位・鈴木勇斗(21)=創価大=がプロ入りの扉を開くまでの道のりを振り返る。

  ◇  ◇

 NPBに在籍する選手は、日本の野球選手に憧れてプロの世界を目指した者が大多数を占めるが、鈴木は「実は、あんまり日本のプロ野球を見ていなかったんですよね」と正直に明かす。そんな男がなぜ、野球選手を目指すようになったのか。海の向こうで躍動する世界的左腕の存在が、大きく影響していた。

 小学生の頃から常に視聴してきたのは、メジャーリーグの試合。「(日本時間の)早朝の5時とかからやっている中継を録画しておいて、それを見ていましたね」。大リーガーのスケール感あふれるプレーにとりこになっていた鈴木少年。なかでもアロルディス・チャプマン(現ヤンキース)の投球には、テレビの前でかじりついて見ていたという。

 自身と同じ左投手で、左腕から放たれる世界最速169・1キロの異次元のスピードボールに魅了された。「憧れというか、本当にチャプマンはかっこよかったんですよね。ずっと見ていた」。後に最速152キロを誇る左腕となり、阪神から2位指名を受けることとなるが、チャプマンとの“出会い”がなければ、違う道を目指していたかもしれない。

 野球を始めたのは、小学校3年生。小中一貫の硬式野球チーム・串木野黒潮に加入し、投手道を歩んできた。「小学校の頃から卒業文集にプロ野球選手になりたいと書いていて、中学校の時も言っていたかな」と明かすのは母・亮子さん。5年生の時は、5年生以下のジュニア大会でMVPを獲るほどの投手だったが、亮子さんにはそれよりも忘れられない姿があるという。

 6年生の時に臨んだ選手権大会予選。優勝候補だった串木野黒潮は序盤に大量点を取ったが、雨の影響もあり登板した鈴木は本調子を出せず。逆転負けを喫し、初戦敗退した。

 出水市から日置市までの帰りの車中、鈴木は1時間以上涙が止まらなかったという。あまりの勢いに、亮子さんも「野球を辞める?」と問い掛けたそうだが、「続ける」と涙ながらに本人は答えた。

 自身が高校生になる前年の14年夏に初めて甲子園大会に出場を決めた鹿屋中央高の山本監督に誘われ、同校へ進学することとなった。プロ野球選手の夢をかなえるために、高いレベルに身を置く決断をしたが、鈴木には挫折が待ち受けていた。(関谷文哉)

 【アラカルト】

◆生まれ 2000年3月17日、鹿児島県日置市出身の21歳

◆サイズ 174センチ、83キロ

◆投打 左投げ左打ち

◆血液型 A

◆球歴 小学3年から硬式野球チームの串木野黒潮で野球を始め、高校は鹿屋中央高に入学。鹿児島大会4強が最高成績。創価大では2年からベンチ入り

◆最速 152キロ

◆球種 スライダー、カーブ、チェンジアップ、ツーシーム

◆好きな食べ物 カボチャコロッケ

◆好きな歌手 乃木坂46。元メンバーの大園桃子推し

◆趣味 ヨガ、音楽鑑賞(ジャズ)

◆対戦したい打者 ヤクルト・村上

◆ニックネーム ずっきー、ゴリラ

◆家族構成 父、母、兄、妹

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