卒寿の伝言 猛虎の誇りをもって 魂のこもった迫力あるプレーを元阪神社長語る(8)

 元阪神球団社長の三好さん
 タイガーデン
2枚

 元阪神球団社長の三好一彦氏(90)が、かつて全力を注いだ球団経営を振り返り、今に伝え遺す阪神昔話「三好一彦の遺言」最終話の第8話は「ファームの充実」。改革の柱の一つが2軍の環境整備だった。

 1994年、兵庫県西宮市の鳴尾浜に念願のファーム施設が完成。グラウンド、合宿所、室内練習場などが一極化され、若手の練習環境は激変した。

 甲子園球場横にあった古い合宿所「虎風荘」から尼崎市の手狭な浜田球場まで、時間をかけて移動していたことを思うと、夢のようだった。

 三好「戦力強化の一環として久万オーナーにお願いしました。2軍が強くなれば、きっと1軍も強くなる。ベースとして力を入れるべきは2軍だと思ってましたので」

 鳴尾浜球場の正面に黄色い文字で「Tigers・Den」と表示してある。タイガーデンと読む。命名したのは三好だった。

 三好「昔、タイガーマスクというアニメに虎の穴というレスラーの道場がありましたわな。それを連想してね。虎の巣穴という意味です」

 この鍛錬の場から巣立った若虎が1軍で活躍する。その姿は阪急や広島を手本にした。

 三好「昭和40年代は阪急と広島の2軍が競り合ってましてね。2軍優勝の延長線上で1軍が優勝しているという前例にならった」

 その成果は確実に表れた。98年から2006年までの9年間にウエスタン・リーグで7回優勝し、03年と05年の1軍優勝につなげた。

 三好は根本陸夫のチーム作りも参考にした。田淵の西武トレード時に得た縁をその後も生かし、若手育成の極意を学んだ。

 根本の名刺にあった“監督兼管理部長”の肩書きには驚いたが、球界の寝業師は「人集め」だけではなく「人作り」にも長けていたという。

 三好「まずファーストラインと呼ばれる田淵、野村、山崎ら名前のあるベテランで固めておいて、セカンドラインの秋山、工藤、伊東ら若手と切り替える。自分はチームを作る監督であって、勝たせる監督として広岡を呼んだと」

 秋山、工藤らの若手を米国のサンノゼ・ビーズに送り込んで鍛え上げ、ハングリー精神を植え付けて日本ヘ戻す。

 その後、セカンドラインが中心となり、西武は常勝軍団へと変貌した。最高の手本だと思った。

 阪神もその手法をとり、デトロイト・タイガース傘下のマイナーに選手を派遣し、本場の生存競争を経験させた。

 亀山が危険を承知で見せたヘッドスライディングは、レイクランドで体験した“ハングリー野球”に刺激を受けたものだった。

 若い選手を鍛えた“虎の穴”は、すでに尼崎市杭瀬に移転することが決まっている。25年からの使用を目指し、大規模な2軍本拠地に生まれ変わる。

 三好「(鳴尾浜は)ひととおりの役目を終えました。次にも期待したいですね」

 近年、阪神のファームは低調だったが、矢野2軍監督時代の18年に優勝。今年はソフトバンクと大接戦を演じ、若虎たちが未来を明るく照らしてくれた。

 1軍は今、激しい優勝争いの中にいる。三好はその戦う姿を見守ることしかできないが、言葉で力を送ることはできる。

 三好「阪神タイガースは85年の長きにわたり、多くの先人たちが聖地、甲子園で輝かしい伝統を作り上げてきました。猛虎の名にふさわしい、堂々たる風格のあるチームであり続けてほしい」

 多くの先人…球団を創設し、繁栄させ、グラウンドで輝き、ファンに希望を与え、そして陰でチームを支えた人たちだ。

 甲子園球場の設計者で、阪神タイガース第3代オーナーの野田誠三は三好の親戚にあたる。

 だからこそ「タイガースへの縁」を人一倍感じ、「90年も命をいただいている人間として」先人たちへの思いを強くする。

 三好「2021年ペナントレースも最終章。選手たちは、タイガースの一員であるという誇りをもってください。魂のこもった迫力あるプレーを期待しています」

 それは、まもなく91歳を迎える三好からナインへ向けた、渾身のメッセージだった。

(敬称略/宮田匡二)=終わり=

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