金本阪神がG大阪の落日から学ぶこと

 「阪神2-6巨人」(20日、甲子園球場)

 「あっ!」。互いに指をさし合った。2012年12月1日だから、4年前の冬になる。当時サッカー担当だった僕は静岡・磐田スタジアムでガンバ大阪の落日に立ち会った。負ければJ2降格が決定する最終節。日本テレビのキャスターとして取材に来ていた赤星憲広(野球評論家)とスタジアムのエントランスで出くわし、再会を喜んだ。

 小学時代にサッカー愛知県選抜の経歴を持つ赤星とは、阪神時代にフットボール談議で盛り上がった。彼自身、サッカー界に顔が広く、勉強させてもらうことも多かったのだが、ガンバが土俵際まで追い込まれた決戦の直前にも、貴重な話を聞かせてもらった。

 「昨日の夜、明神選手と連絡を取り合ってね。彼、言ってたんですよ。明日は死ぬ気で走り抜きます!って」

 神戸出身の明神智和(みょうじん・ともかず)は当時、ガンバ大阪の主将。2002年日韓W杯ではトルシエジャパンの主軸として決勝トーナメント進出に貢献した、歴代代表でも記憶に残るMFだ。僕の接した明神の印象は、控えめで謙虚。取材に対しても丁寧で、真面目。それでいてグラウンドでは強いキャプテンシーを発揮し、人望が厚い。親交のある赤星に伝えた「死ぬ気で」の誓いが大げさでなかったことは、磐田戦の壮絶な運動量を見れば分かった。

 試合は1-2で磐田に屈し、1993年のJリーグ元年から1度も降格のなかった名門クラブが冬の時代を迎えた。敗戦後のミックスゾーンで明神は責任を背負い込むようにうなだれた。涙を浮かべる選手も何人もいた。

 同シーズンのガンバは何をやってもうまくいかなかった。先制しても追いつかれ、土壇場でまくられる、その繰り返し。メンバーも試行錯誤。監督はミスターガンバと呼ばれた松波正信でこの年が初采配。今のタイガースと惨状がかぶるのだ。

 だがそんなチームが見事に蘇生した。翌13年にJ2を制し再昇格すると、2年前の低迷がウソのように躍動し、14年にJ1制覇。昇格初年度では史上初の国内3冠を達成した。

 虎の近年を振り返れば、星野仙一が率いた初年度(02年)は首位に19・5差の4位に終わり、岡田彰布が星野から引き継いだ04年は首位に13・5差の4位。真弓明信のそれは24・5差の4位で、和田豊の初年度は首位と31・5差の5位だった。

 あの夜、ガンバの支柱、遠藤保仁は「(メンバー)全員の責任」と言った。金本阪神がガンバや星野、岡田のそれになるために、必要なこと。それは「全員」の意識をフロント、現場で共有できるかどうか。明神のようなキャプテンシーをチームを代表する選手が担えるかどうか…。=敬称略=

(阪神担当キャップ・吉田 風)

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