蜷川幸雄さんが死去、80歳

 死去が明らかになった蜷川幸雄さん
2004年10月、文化功労賞を受賞し会見する蜷川幸雄さん
2004年2月、映画『嗤う伊右衛』初日あいさつを行った蜷川幸雄さん(右端)
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 「世界のニナガワ」と称され日本を代表する演出家の蜷川幸雄さんが肺炎による多臓器不全のため12日、亡くなった。80歳だった。埼玉県川口市出身。「NINAGAWAマクベス」など多くの作品を残し、海外でも高い評価を得た。厳しい指導を元に多くの俳優を育て、近年ではジャニーズのアイドルも舞台人として育てた。「鬼の蜷川」とも称され、舞台に生きた蜷川さんが力尽きた。

 蜷川さんは2014年11月に香港での公演中に肝臓などの不調を引き起こし、現地で緊急入院したことがあった。昨年12月中旬には稽古中に体調を崩し、肺炎と診断されて入院した。体調は回復せず、今年1月22日には、蜷川氏自身を戯曲化した作品「蜷の錦-Nina’s Cotton-」の公演延期が決定となり、「恥ずかしい気持ちはあるのですがとても面白いので、演出しようと決意していただけに、悔しい気持ちでいっぱいです」とのコメントを発表していた。

 2月には、さいたま芸術劇場での舞台を手がける予定だったが体調不良のため延期となった。当時、担当者は「体力が落ちていて日常生活が難しい」と話していた。最近は酸素吸入用チューブを手放せない生活が続き、車椅子も欠かせなかった。今月25日からは埼玉・彩の国劇場でシェイクスピアの戯曲「尺には尺を」が上演初日を迎えるところだった。

 蜷川さんは1935年生まれ。55年に東京の開成高校を卒業した。画家を志望したが55年に劇団青俳の安倍公房作「制服」に接して演劇を志し、同劇団に入団。当初は俳優だった。69年に現代人劇場の「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。その後、75年に東宝公演「ロミオとジュリエット」で大劇場にデビューした。

 78年「王女メディア」につづき、79年初演の「近松心中物語」が大ヒット。83年に「王女メディア」をアテネなどで上演、「マクベス」が87年に英国ナショナル・シアターで上演され、海外での高い評価を決定づけた。

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