田中正義が背負う特別な背番号「15」

 今秋ドラフトの超目玉、創価大の156キロ右腕・田中正義投手(3年)は、昨秋からは背番号15を付ける。創価大野球部にとって、この番号は特別な数字だ。

 創価大の岸雅司監督はチーム始動日の9日、15番の重みをとつとつと語った。「すごい思いがあるよ。23年、欠番にしていたからね」。以前の持ち主は、鳥居輝之さん。92年2月10日、21歳の若さで就寝中に亡くなった。先天的な心臓疾患による突然死だった。

 静岡県出身で、高校時代には東海大会にも出場。田中と同じく身長は180センチ以上ある大柄な右腕だった。創価大では3年生までリーグ戦登板はなかったが、最上級生となって野手転向を決意し、張り切っていた矢先の悲劇だった。人一倍のチーム愛があった教え子を、いきなり亡くした指揮官のショックと悲しみは計り知れず。背番号15は欠番となった。

 岸監督にその禁を解かせたのが、田中だった。圧倒的な実力、並々ならぬ向上心を持って野球に取り組む姿勢。この男なら大丈夫と確信した。昨年6月、指揮官は数年ぶりに浜松で鳥居さんの墓参りをし、実家も訪問。鳥居さんの母親に決断を報告すると、泣いて喜んでくれたという。

 田中は鳥居さんが亡くなって2年後の94年に生を受けた。岸監督は「時の符合を感じてるね。正義が15番をよみがえらせてくれた。僕は生まれ変わりだととらえている」と、しみじみと言葉に実感がこもった。「思いは正義に託してます。プロに行って活躍すれば、鳥居のお母さんも喜んでくれるでしょう。まだまだ完結していない。もっと大きな素晴らしいピッチャーになってほしい」と、さらなる成長を期待した。

 伝説の番号の復活が決まって以降、田中の投球は一段とすごみを増した。昨年6月末の大学日本代表の壮行試合では、NPB選抜から7者連続を含む8奪三振。実際に初めて15番を背負った秋のリーグ戦は、46イニングを投げて1点も取られなかった。16年のチーム初練習を終え、背番号15の重みについて尋ねられると「自分が活躍することで、喜んでいただける人がいる。自分のためだけじゃなく、いろんな人に元気を与えられるような選手になりたい。力になっています」と、しっかりと受け止めていた。

 悲劇から24年、岸監督は一度も欠かさず、毎月10日には鳥居さんの実家に電話をしているそうだ。そして、野球部では毎月10日は「鳥居の日」として、必ず1時間以上の全体ミーティングを行って選手にさまざまな話をさせ、人間的な成長を促している。

 岸監督が就任してちょうど30年目に、田中は入学した。そして、最終学年を迎え、押しも押されもせぬアマのナンバーワン投手となった。多くの報道陣とスカウト陣が集結した練習始めの光景に、岸監督は「これまでに?ない、ない、ない。ビックリ」と話しつつ「でもね、選手には『だから今までない、いいことがあるかもしれないよ』と言いました」と、明かした。“いいこと”とはもちろん、創部以来初となる大学日本一。悲願達成に突き進む創価大ナインの先頭に、伝説の背番号15を付けたエースがいる。

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