相川七瀬 ロック歌手だけど赤米大使「本業は日本人」赤米文化保存に熱い思い

 “赤米大使”を務める歌手の相川七瀬(41)が20日、九州国立博物館で開催された「赤米フォーラム」に参加し、日本の伝統的な赤米文化の保存と継承を熱く訴えた。赤米は古来、大陸から日本に伝わった米。明治以降、白米の味のよさに比べると下等米とされて作付けされなくなり、一部の神社で神事用に栽培が続けられているだけだったが、近年はその栄養価が見直され、全国各地で再び栽培されるようになっている。

 相川は神社などパワースポットについて数多くの著書があり、神道にも造詣が深い。2011年8月、長崎県対馬市で行われた日韓友好のライブに招かれたとき、赤い稲穂の田んぼに偶然出会い、「稲妻に打たれたような」感銘を受けたという。そのとき、この地域では神事用に赤米栽培が古くから連綿と続けられ、同市の多久頭魂神社で赤米神事が行われてきたこと、また、そうした赤米文化を継承する人が減っていることなどを知った。

 その後、相川は、鹿児島県南種子町の宝満神社、岡山県総社市の国司神社でも同じように御田植祭や収穫を祝う霜月祭など赤米神事の伝統が残っていることを調べ、3市町に連携を呼びかけて仲をとりもち、赤米フォーラム開催や赤米伝統文化連絡協議会の設立に尽力。2012年6月には、3市町から“赤米大使“に任命された(正式名称は、南種子町が「トンミー大使」、対馬市は「赤米諮問大使」、総社市は「赤米大使」)。

 それぞれの市町が行う田植や稲刈りなどの神事に参加するなど、赤米文化の継承、普及に精力的に取り組んでいる。この日、壇上であいさつした相川は、初めて赤米と出会ったときのことをこう振り返った。「赤く揺れる稲穂は神秘的で、このお米がもしかしたら私たちが食べている白米のお母さん的な原種だったのかもしれないと思うと、これを守ってきてくれた先人たちの思いが、まだ燃えているんだということに感動しました」。

 3市町は2014年から16年にかけて、各首長が集まる赤米サミットを3度開催。友好や交流を深めた。現在は、民俗学的に貴重な赤米文化を地域の宝として保存、継承し、後世に伝えていくため、日本遺産の認定を目指している。

 相川は「私自身はロック歌手で歌を歌うのが本業。『夢見る少女じゃいられない』という曲でデビューしましたが、『あの歌手がなぜ稲作や神道、日本の伝統文化に興味があるの?』とよく言われるんですね。でも私は本業は日本人だと思っています。お米は日本人が誇る大切な食文化。未来の子どもたちに、赤米のことをもっと伝えていきたい」と話していた。

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