鉄人ジュリーの「六甲おろし」

 44年ぶりのオリジナルメンバーとなる、ザ・タイガース再結成ツアーが12月3日・日本武道館から27日・東京ドームまで全国8カ所で行われる。沢田研二は“師走の大一番”を前に、この秋、ソロとして全国を駆け回っていた。10月20日、神奈川・座間公演を拝見したのだが、そこには、今年65歳になった等身大のジュリーがいた。

 オープニングの「あなたに今夜はワインをふりかけ」に続いて演奏されたのが、「六甲おろし」のロック・バージョン! 筋金入りの“トラキチ”が、既にCS第1ステージで敗退していた阪神を叱咤(しった)し、来季の奮起を願うかのような熱唱だった。くしくも、デイリースポーツの新企画「月刊 トラクラ」“創刊号”(10月29日)に登場いただいたジュリーの取材に立ち会い、熱い猛虎魂を拝聴した後だっただけに、「今、ほんまに歌いたい歌を歌う」という沢田の思いが伝わってきた。

 「勝手にしやがれ」「サムライ」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」「おまえにチェックイン」…。70年代後半から80年代前半にリリースされたシングル・ヒット曲の数々では、タイガース時代を知る“アラ還ギャル”から、そのジュニア世代までの老若男女を総立ちにさせた。その一方で、東日本大震災後の状況と正面から向き合った新曲「Pray~神の与え賜いし」など、「今、ほんまに歌わないかん曲」を切々と歌い上げ、立っていた観衆も座席に腰を下ろして静聴した。自作の歌詞には「3・11」「放射能」「福島」という硬派なフレーズがちりばめられ、ポップな前者とのギャップを感じさせるが、どちらもまごう事なき沢田研二。ジュリーは多面体なのだ。

 先述のヒット曲を連発した70年代後半から80年代にかけてのジュリーは、新曲ごとに当時の常識を打ち破る、確信犯的なメークやファッションでお茶の間をあ然とさせ、まさに時代と寝た、そのスタイルはデヴィッド・ボウイを連想させる(音楽的な指向ではタイガース時代からローリング・ストーンズの楽曲をカバーしていたようにミック・ジャガ‐寄りだと思うが)。だが、今のジュリーはテレビなどのメディアに露出して消費されることなく、たとえ商業的ではなくとも、独自のスタンスで「今、ほんまに歌うべき歌」を毎年発表し続けている。

 その姿勢は彼のディスコグラフィーの中でいうと、「今 僕は倖せです」というアルバムに通じると思う。国民的アイドルだったタイガース時代、本格的なロックを指向したPYGを経た72年9月発売の作品だ。「危険なふたり」で初のオリコン1位を獲得し、ソロ歌手としての地位を確立した年が73年だから、ちょうど端境期に当たる。

 「今 僕は‐」のジャケットはアコースティック・ギターを抱えて座る沢田の後ろ姿のイラスト。緑色の背景の中、白い服の背中いっぱいに赤文字で「今僕は倖せです」と書かれてある。“美貌”を誇った24歳当時に、あえて顔を出さず、音楽で勝負しようとした覚悟を感じさせる。全曲、自身の作詞作曲で、曲調はフォーク、ロック調。その音楽性や歌詞の世界観は現在の曲調とは異なっていても、“芸能界のスター”というポジションから“個”に立ち返り、一表現者として思いの丈をつづっているという、そのシンプルな「手作り感」にこそ、現在のスタンスとの相似点を見いだす。

 この41年前の隠れた名盤には「被害妄想」「不良時代」「怒りの捨て場」といった、“売れ筋”など考えていなかったであろう、直球な題名の曲が並ぶ。「湯屋さん」という不思議なタイトルの曲は“ロックンロールなゆうやちゃん”に捧げられている。もちろん、縁の深い“あの人”のことだろう。そういえば、内田裕也の著書「俺は最低な奴さ」(近田春夫によるインタビュー形式)には、彼が大阪でファニーズ(タイガースの前身)を見いだした時期、デビュー前の沢田に「サワノイケン」という芸名を提案したが実現しなかったというエピソードが描かれている。話はそれたが、豆知識。

 閑話休題。今回のライブ中、MCもまた“65歳の等身大”だった。前半では「前期高齢者です。基礎年金をいただきました。厚生年金はまだ稼ぎがあるのでいただけません。いつになったらいただけるのでしょうか」と、年金ネタで笑わせた。アンコールでは「体重」をテーマに語り始めた。最近はテレビに出ていない自分だが、賞レースの季節になると、若き日の映像(77年の日本レコード大賞を受賞した「勝手にしやがれ」あたりか?)がテレビで流され、それを見る度に「他人事にしか思えなくて、『お前、誰やねん!』って突っ込んでます」と、会場を大爆笑させた。

 時の過ぎゆくままに、どんなに“華麗”だった人も“加齢”していくし、食欲にこの身をまかせば体重も増えていく。沢田はありのままの自分を受け入れ、関西弁の絶妙の間(ま)と抑揚でもって、くすぐりやオチを巧みに交えたトークで飽きさせない。タイガース再結成ツアーにかける思いも含め、実に30分間にも及ぶ極上の「漫談」となっていた。

 08年の「人間60年・ジュリー祭り」では大阪・京セラドームと東京ドームの2回公演で計5万5千人を動員し、それぞれ6時間半にわたって80曲を熱唱した。「88歳まで歌いたいという思いで本当は88曲を歌いたかったが、時間の関係で80曲にした」という。バックを務めたのが、80年代の伝説的バンド「ルースターズ」のギタリスト・下山淳、骨太なビートをたたき出す女性ドラマー・GRACE、80年代から沢田をサポートしてきた元「エキゾティクス」のギタリスト・柴山和彦、そしてキーボードの大山泰輝(ベースがいない!)。沢田は5年前のドーム公演で完奏した彼らを“鉄人バンド”と命名した。今回のソロ公演でも鉄人バンドの演奏は健在だったが、MCをのぞく約2時間、歌って踊って走り回ったジュリーもまた、まぎれもなく鉄人だった。

 ソロとしてのシングルレコード売り上げは1200万枚以上。日本歌謡史において、美空ひばりと比肩されるスター歌手の1人である沢田だが、今の彼はそのステータスに束縛されることなく、まるでライブハウスを主戦場とするインディーズ系ミュージシャンのように身軽で自由だ。

 6月から始まった今ツアーは11月5日の大阪フェスティバルホール公演で全40公演を終え、つかの間の休息とリハーサルを経て、12月のタイガース再結成ツアーを迎える。それはメディアで大きく取り上げられるだろうが、本人にとっては終着点ではなく、あくまで過程にすぎない。だから“懐メロ大会”に終わることなく、88歳のゴール(延長戦あり?)に向けた進化の1ステップになるはずだ。そして、リアルタイムでタイガースのライブを知らない50代以下の観客には温故知新の「再発見の場」となることだろう。

 なんてことを、つらつらと、鉄人ジュリーの「六甲おろし2013年版」に触発されてつづってみた。今後も(1)鉄人バンドとのコンサート・ツアー、(2)CD制作、(3)音楽劇‐の3本柱は来年以降も継続されていく。あとは阪神が優勝するだけだ。1年後の今頃、「六甲おろし2014年版」を勝利の美酒に酔いながら(それこそ、ワインをふりかけ)、絶唱するジュリーを見たい。=敬称略=

(デイリースポーツ・北村泰介)

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