元関脇魁輝の友綱審判長、後輩に伝えたいのは「我慢」 6月に定年

 「大相撲夏場所・12日目」(25日、両国国技館)

 大相撲の友綱親方(64)=元関脇魁輝、本名・西野政章=が25日、両国国技館で定年前の会見を行った。夏場所後の6月12日に65歳定年を迎える。部屋は大島親方(元関脇旭天鵬)に継ぐ。定年後は協会に再雇用される手続きをしており、参与として八角理事長(元横綱北勝海)の定めた職務に就く予定。

 「今場所が始まってから複雑になってきたね。さみしいというのはあるけど、今まで責任が問われることの荷が下りた。そういう気持ち」と晴れやかな顔で話した。

 青森県出身で1965年、中学生時に上京し友綱部屋に入門した。序ノ口通過に1年かかるなどしたが、じっくりと力を付け、73年秋場所で新十両、75年九州場所で新入幕した。速攻、突っ張りを武器に金星は三つ。三役は4場所、三賞は敢闘賞1度を獲得した。

 「(13歳入門時を)覚えている。部屋に入って身長、体重が足りない分、待つ期間があった。新弟子検査に合格した時は年上ばかりでここから先は無理と思った。関取になりたいとかはなかった」と52年前を振り返った。

 幕下に上がってからは地力も付き、上を目指した。元関脇の長谷川、福の花があこがれ。現役時代の自慢は当時、サーカス相撲で知られた栃赤城にめっぽう強かったこと。「みんな苦戦してたけど、一番やりやすかった」と笑顔を見せた。

 87年春場所限りに引退し年寄高島を襲名。89年に友綱部屋を継承し、大関魁皇、関脇魁聖、幕内戦闘竜、太刀光らを育てた。思い入れはやはり5度の優勝を果たした魁皇。「小学生のころに会って、この子が部屋にきてくれたらと思った。彼をスカウトし、指導できたのは大きな自信になった。いろんな場面を思い出す。いい出会いというのがあった」とうなずいた。

 2006年から3期、14年から1期と日本相撲協会理事を通算4期務めた。特に10年の横綱朝青龍の暴行事件では調査委員会委員長として手腕。出国禁止、イベント出演中止など厳しい措置を下した。昨年から今年春場所まで審判部副部長を務め、手付きの厳格化を徹底し、土俵下から目を光らせた。

 「苦しい時期も理事の方々とやってきたことが、ここに来てこの形(相撲人気の復活)になった。この時期に自分が終われるのも巡り合わせ的に良かった」と、苦労が報われたことに感慨深げ。

 52年間、培った経験。今の力士に伝えたいことは「我慢」とキッパリ。「我慢して、コツコツと目の前のことを歩んでいく姿勢が大事」と、語った。

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