広島・九里 出会いに恵まれた 明かしたプロ野球選手になるまでの紆余曲折の道のり

 広島の九里亜蓮投手(32)がデイリースポーツ読者に本音をさらけ出す一人語り『Spirit of Challenge』がスタート。今年プロ11年目にして、自身初めてとなる開幕投手も務めたタフネス右腕。第1回は『原点』をテーマに、プロ野球選手になるまでの紆余(うよ)曲折の道のりを振り返ってもらった。以下、前編。

  ◇  ◇

 皆さんこんにちは!九里亜蓮です。今月から何度かにわたって、僕がたどってきた道のりや、今思っていることをお話ししていきます。よろしくお願いします。早速ですが、初回は僕がプロ野球選手になるまでがテーマです。野球を始めた小学生の時から大学時代まで順を追って振り返ります!

 まず野球を始めたのは、いつだろう…。本格的なチームに入ったのは9歳とかだと思います。いまだに覚えているのが、6歳の誕生日に初めてグローブを買ってもらったんですよ。おもちゃのグローブではなくて、スポーツ用品店に並んでいる、ちゃんとしたグローブを買ってもらって、それがうれしくてうれしくて。毎日のようにお父さんとキャッチボールをして、それができない時は、壁当てをずっとやっていました。

 僕が6歳の時は、親の仕事の関係で海外と日本を行ったり来たりしてました。ここっていうところに1、2年ずっと滞在してっていうのはなかったんです。だから基本的にはマイナーリーグでもプレー経験がある、お父さんに野球を教えてもらっていました。

 小学校3年生の時に僕はお父さんとアメリカに行くことになって、そこで野球チームに入りました。チームメートはみんなアメリカ人で、アメリカの普通の小学校にも約3年間、通いました。あんまりつらかった思い出はないですね。楽しかった思い出の方が強いです。

 アメリカはプレーするスポーツが季節によって違うので、野球以外にもバスケ、アメフト、ストリートホッケーと言って、路上でローラースケート履いて、遊びでやるホッケーも、サッカーもやりました。いろんな競技をやる中で、どんな動きをしたらうまくできるのかと、考える能力はその時に備わったと思います。

 中学時代はおばあちゃんと鳥取県米子市で過ごしました。過去にテレビ番組でも特集された通りです(笑)。今思えばいろんなことをしたなと思います。野球は米子ビクターズ(現米子ボーイズ)という硬式のチームに入りました。そこで豊島監督に出会うことができました。

 練習は土、日しかなかったんですけど『髪の毛を染めようが、どんな悪さしても良いから、練習だけは絶対に来なさい』って言われて。実際に金髪で行ったこともありました(笑)。中学ではピッチャーをしていたのですが、試合中に僕がキレて、相手チームの選手とバチってなった時も、すごい足の速さで豊島さんは止めに入ってくれたりとか…。

 それでも豊島監督は本当に温かく見守ってくれました。僕は野球をするよりも遊ぶ方が楽しい時期もありました。だからあの時、見放されていたら野球は続けていなかったと思います。豊島さんのおかげで今でも野球を続けられていると思います。本当に出会った人に恵まれました。

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