燕・藤本引退 猛虎V戦士がまた一人…

 ヤクルト・藤本敦士内野手(35)が今季限りで引退することが7日、分かった。09年オフに国内FA(フリーエージェント)権を行使して阪神から移籍。正遊撃手として期待された。しかし10年のシーズン途中に椎間板ヘルニアを発症。手術を経て再起を目指してきたが、完治に至らず、8月終盤にユニホームを脱ぐ決意を固めた。近日中に球団から発表され、引退会見を開く。

 猛虎のV戦士がまたひとり、グラウンドを去る。ヤクルトで再起を期していた藤本が現役を退く決意を固めた。既に球団に意思を伝えており、近日中に正式発表される。

 藤本は00年ドラフトで当時阪神の野村監督から潜在能力を見いだされ、幼少期からファンだった地元球団に入団した。同期では藤田太陽、赤星に注目が集まったが、事前の獲得リストを覆した知将の先見通り、1年目から才能の片りんをのぞかせた。赤星らとともに俊足の「F1セブン」としても期待された。

 2年目の02年、星野監督のもと開幕スタメンに抜てきされると、03年には「8番・遊撃」でレギュラー定着。打率3割超えを果たし、18年ぶりのリーグ制覇に貢献した。

 04年は長嶋監督率いる日本代表に選出され、正二塁手としてアテネ五輪に出場。オランダ戦で本塁打を放つなど国際舞台でも成長を遂げた。阪神では鳥谷の加入により二塁へコンバートされたが、岡田監督時代の05年に2度目の優勝を経験。阪神在籍9年間で主力として黄金時代を築いた。

 09年にFA権を行使。兵庫県出身の藤本がヤクルトに活躍の場を求めたのは、もう一度、遊撃手として勝負したい一心からだった。だが、正遊撃手定着を期待された移籍初年度に椎間板ヘルニアを発症。手術を経て、翌年以降も活躍の機会に恵まれたが、完治に至らず再発に苦しんだ。

 今季は2軍施設の戸田でリハビリを継続していたが、ファームでの代打出場が持ち場となり、「限界」を感じるようになった。1日のイースタン・ロッテ戦に家族を招待し、真中2軍監督に決断を報告した。藤本が悔いのない、13年間のプロ野球人生に別れを告げる。

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